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サムネイル15回

クリスマス島釣紀@

 

ホノルルを朝の4時に飛び立った古めかしいDC−8は、赤道近くの強烈な斜陽に包まれ始めていた。機長のアナウンスで、後30分後に、クリスマス島に到着することを知らされると、序々に高度を下げる飛行機の窓から、僕は食い入るように眼下に広がる、紺碧のじゅうたんに見入っていた。前席に陣取っているアメリカ人は、満月に訪れるであろう

Bigボーンフィッシュの話で興奮気味である。石垣島を出発してからこの4日程、眠りらしい眠りをとっていない僕は、ぼんやりとした脳裏に、トップウォータープラグに飛び出す、巨大なGTの姿がちらつき始めていた。メンバーのある者は目を閉じ、口許にかすかな不気味な笑いを浮かべ、ある者は凝視するように、うねりたつ波間のかすかな影に巨魚の姿を見つけようと、顔を引きつらしている。

多分、今考えられるルアーフィッシングの中でGTこそは、キャスティングで釣る、究極の魚であろうことは確かである。

10数年追い求め、未だつかめぬ不可解な力、わりきれないパターン、それを制するためにルアーを作り、ロッドを作り、システムを考えて来たが、ぼやけた脳裏には釣り人がもつであろう孤独な不安が首をもたげはじめていた。

 

釣りは技術なのか、感性なのか、まるでわかっていない自分にとって、多分発展途上にあることは確かな技術をひけらかすことは、ここ数年控えてきた。

安直に一度の釣行で技術的に結論じみたことを書くアングラーの多いことや、多方面に広げすぎた釣りの中で言葉だけ一流めいたことを言うアングラーに、辟易としているのも事実であろう。釣りはそんなものじゃない。

そんな話を、丸橋英三さんと、東京出発前夜、話した。

「それはねエ、実に日本人的だよ。それもちょっと前の日本人のね。おれにはわかる。でもねぇ、我々より10才若いアングラーには通じない。当然外国人には通じないね。」

僕の3人いる師匠の一人がこう答える以上、それ以上は言うまいと思った。

 

 

クリスマス島は、10数個の実をつけたそれほど高くない、ヤシの林で覆われていた。

かわいた道は、珊瑚礁の固い岩盤のせいか、乗っているトラックの後ろには、あまり

ほこりがたたない。ところどころ、かつての内海のなごりの水たまりが点在しているが、たぶん何十年か前に行われた、原爆実験の時に、意識的に埋められたものではないかと

思われた。原爆は、海上5kmの地点で炸裂し、そしてこの島を20年にわたって無人島にしてしまったらしい。

ホテルに着いてすぐにロッドケースをこじあけ、あわただしくリールをつけ、ルアーケースを持って薄暗い、ゆっくりと廻る大きな扇風機のある部屋から飛び出すと、全てが蒸発しそうな、真っ白い光の洪水が、僕の目を襲った。かすかにヤシの林の向こうに見える海だけが、バージンブルーの青い輝きと、やさしさを与えてくれた。

30分トラックに揺られると、ロンドという小さな港に着く。パンティング ボートは、北東の季節風に阻まれ、バタバタとしぶきを上げはじめた。ガイドのツナキがウトウトと浅い眠りについていた、僕の肩を叩いた。僕は、目をこすり、片手で髪をかきあげ、パンパンとほっぺたを自分ではたいたが、ぼやけた脳から体に走る電流は、鈍重な筋肉を蘇らせるに至っていない。ガイドのツナキが、あれこれと世話を焼いてくれる。「スズキ、これを飲め」とヤシの実のエキスを飲ませてくれた。今は釣るしかない。       

 

 

夕方近く、同行の塩沢君のクレイジースイマーに飛び出したGTは、大きくロッドを曲げた。

丁寧にポンピングを教える、良い機会であるから、横に立ってひざや、手の使い方、ロッドの起こす速度等、細々とレッスンするように言うと、7分近くで、32kgのGTが姿を現した。長めに取ってあるショックリーダーを掴み、回しながら浮かせ、ホールドbyテールのハンドランディングでボートの上に上げて、すぐにリリースした。僕は体が少しずつほぐれていくのを感じながら、44才の誕生日を、赤道近くの南海島で過ごせることに感激し始めていた。