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サムネイル18回

多良間島釣紀

石垣島は、年末を迎えていたが、連日のように暖かく、穏やかな日が続いていた。気温も26°Cを越える日も珍しくなかった。世界中、異常気候ということだろうか。どうも、冬という気がしない。そんな陽気に誘われてか、釣友であり、チームフィッシャーマンの副会長、石垣長宏君と隣の島、多良間島の釣行が急に決まった。多良間島へは石垣島空港から、小さな双発の飛行機で、15分のフライトという距離にある。11時に機乗して、12時には、もう多良間島の前泊港を、シロダイ釣りの名人、羽地勝也船長の船で出航していた

この島は、一周20kmぐらいの平らなまるい島で、人口は、1、400人。石垣島から一便、宮古島から3便の16名乗りのRAC機と、一日おきに入るフェリーが、主な交通手段である。隆起珊瑚礁の地形は、およそフラットな大地を作り、硬い石灰でできた岩盤は、容易に農業を発展させなかったらしい。琉球とのかかわりが長く、そのせいか、八重山諸島にあるような南方神話は少なく、琉球王朝の歴史の中に点在する史実をもとに作られた創作歌劇や、琉舞が、今も島に住む若者たちの手で守られている。そのあでやかさ、美しさは、先島列島一と言っても良い。海辺は白い砂浜が続き、サンゴリーフがかなり発達し、外海と島の間に浅い豊かな薄青光色の内海を形成している。

 

勝也船長は、エンジンを止めて「この辺が、イソマグロやガーラが良く釣れるところだが?」と我々のルアータックルをしげしげと、不思議そうな顔で眺めながら言う。水深はゆうに 20〜30mはあるが、島沿いに、かすかにぼんやりと、浅く飛び出ている根が見えたので、キャスティングを開始した。干潮時に浮き出る、リーフのかすかな磯の香りがゆるやかな東風とともに、少し汗ばんだ体に気持ちが良い。3時ごろ、潮止まりに小休憩をとりながら島を見ると、モクマオウの林が、淡い新緑に包まれていた。この南方系の松科の木は別名「アイアンツリー」(鉄の木)といって、幹や枝は固く、およそしなやかではないので、台風などの大風が吹く時は、ボキボキとよく折れてしまう。その折れた幹や枝のあたりから、新芽が吹き出して、春のような色合いを、この林に与えたに違いない。南海島の植物の春は、我々が考える四季ではなく、台風のもたらす破壊の後に訪れる、生命の強い再生力によって起こるのだと、ふと思った。

4時を回ると、潮の流れが根にあたり、ウズを巻いているポイントにはいった。「ここはイソマグロが多いはず」とかなり深い所で、船を止めながら、船長は言う。僕はさらにリーフの近くの流れこみぎりぎりまで、ボートを移動させてエンジンを切ってもらった。2投目に大きなアタリがあったが、一分のファイトの後、ルアーがはずれてしまった。さらにもう一度、同じところに船を廻し、キャスティングを繰り返す。新しいデザインのトップウォータープラグ、クレイジーポッパーペンシルは、クネクネ、バシャバシャと今までにはない動きを見せながら、動きだした。その時、真下から突き上げるように飛び出してきた魚は、3回のアタックの後、異常なスピードではしり、80m以上沖まで、ラインを引きづり出した。ガッチリとアワセをした後、魚の進む方向と、船の流される方向を計算し、ポンピングとドラッグの強度を割り出す。勝也船長が深場の方へ船を移動してくれたことは、ありがたかった。ドラッグを7kgまで上げたが、ラインはもう一度引き出され120mのところで止まった。抑え込んで、頭をこちらの方に向かせ、テンションの変わらない、フットポンピングを繰り返し、船の近くまで寄せると今度は30m近く潜ってしまった。パワーリフトという、膝を使った鈴木流の方法で浮かせて空気を吸わせると急におとなしくなった。自分で口の中にギャフを打って、船の上にあげ、記念撮影をして、すぐにリリースした。  

「30kgはあるはずよ」と勝也船長。

「ポッパーにイソマグロがヒットするんだねエ」とおどろく石垣さん。

「浅場のイソマグロは、面白い。すごい、いいファイターだったね」と言って僕は2人と握手した。その後、すぐに石垣さんが20kg前後のG.T.を釣り上げて、二人とも大いに満足

してしまった。「雑誌では、魚を逃がすとよく書いてあったが、ウソだと思っていた。

本当に逃がしてやるんだね。こういう釣りもいいね。」と笑いながら船長は言った。

6時に港に帰ると、風が少し強まってきた。

薄い絹のような雲が流れ始め、この美しい南海島にもやはり、寒い季節がやってきているんだと思った。