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サムネイル35回

小笠原釣紀T

 

 

 

 

 

 

 

海洋島・小笠原
東京から南へ1000km、竹芝桟橋を3500 tの小笠原丸で朝の10時に出港して、翌日の午後2時半に父島、二見港に到着。さらに母島丸で2時間半をかけて母島の南西の港沖港に入るわけで、およそ32時間かかる計算になる。一般交通で行ける日本で一番遠い所が、東京都の母島なのである。
「イワシの形したやつ落としてくれる?カッタクリ、水深107mの山(根)だから 120mから、だんだんと上げるから」と船長のケンさん、こと吉田謙吉さんのわれた声が響く。

この船長は母島北村の生まれで、戦争中は福島に疎開して戦後一度島に戻ったものの、占領米軍によってすぐに強制疎開させられた。大学時代、フェンシングでならし、復帰後すぐに母島に帰り以来25年漁一筋できたわけで、小笠原屈指の漁師である。

強い太陽の陽射しは、顔に深いしわを与えた代わりに体に64歳とは思えない、若々しい筋肉を未だ与えているのである。

切り立った断崖は、屏風のようにつながりながら、堅い岩盤の地層をさらけ出し、覆いかぶさり、曲がり、ずれ、この島々がいかに地殻変動が継続して起きたかがしのばれる。

小野幹雄著「孤島の生物たち」によれば、「海に囲まれた島がなぜできたかというと、大きく分けて2通りの成因が考えられる。一つは、大陸の一部が切り離されて島になったものである。もう一つは、成因は海の底から陸地が盛り上がって島になるものである」とある。

前者は氷河期の海面変動の海進によってできたもので、大陸島といい、大陸の動植物がそのまま閉じこめられてしまう。一方、後者はほとんど海底火山の噴出によっていきなりできた、いわゆる海山として出現した。

その後、隆起したり海面低下(海退)によって島になったもので、海洋島と呼ぶ。大陸島は西表島や僕の住んでいる石垣島などで、海洋島は南大東島や今回の小笠原の島々である。

 

さて、釣りである。
磯釣りの一行を姪島、夜釣り根の岩の上に乗せてしまうと、僕と船長と2人きりになってしまった。
「ちょっと、それ、デカくないか? みんな、もうちょっと小さいのをつけているんだけど?」とケンさんは、ながい10 ozのジグを見ながら言う。
「僕、でかいのを釣りたいから、でかいジグつけるんです。いろんなの一杯釣れなくてもいいんです。1尾大物が来ればそれで……」と答えると、船長は魚探を睨み付けながら黙って顔を縦にふった。

「そろそろ山の頂上ですよ。水深105mとケンさんの声が聞こえたとき、ゴツゴツとしてた鮮明なアタリが釆たので、鋭くアワセて、一気にラインを巻き取ると、2分程で魚は浮いた。15sのシマアジである。
「あれまあ、でかいシマアジだね。僕等漁師でも、年に一本見れば良いサイズだよ」と言う。

シマアジは4〜5sのものが多く、7〜8s以上をオオカミと言って、釣り師の間では最高のターゲットである。多分、僕の知っている限りでは、日本で釣りで釣れた最大のシマアジであろう。正確な検量の結果は14.8kgであった。午前中に何本かの20s前後のヒレナガカンパチが上がった。
「あれ、悪い潮がやってきたみたい」と船長は沖を指さす。一見何も変わらない海に、一般のアングラーは見えないと思うのだが、普段海に出ているおかげか僕にはザワザワとした逆潮が押し寄せてきているのがはっきりとわかった。良い船長とはこのように海の目利き、いわゆる潮や風が見える人である。
「磯に登っている連中、昼に一度チェックしてから」と言って、船長は船を走らせた。
「オーイ、何か釣れた?」と言うと、「BIG PENにキハダがね、すごいバイトして」と村上さんが、今釣り上げたばかりの15 sぐらいの魚を持ち上げている。上屋敷君も、鈴木葉一さんも、大きなペンシルをひたすら投げ続けている。すると、目の前でドカンとキハダがジャンプするようにバイトした。

大魚の確信
「あんまり邪魔してもしょうがないから、ちょっと走ってみよう」ケンさんは、母島の方に舵を切った。

鰹鳥島を経て南崎に近づくと、島に沿って小さな火口のような、すり鉢形の窪みがいくつか見える。

そのいくつかは波や風で削り取られ、火口断面をいわゆる小火山をすっぱりと2つに割ったように見えるわけで、この島が多火口を持った火山島であったのではないかと錯覚してしまうが、実際は何百万年の間、変動を繰り返し浸食されたわけであるから、確かなことは分からない。さらに進むと、飛び出した東崎が見えてくる。その沖1マイルの所に根があるそうである。
「頭が40の山(根)だから、だんだんと登って、スパッと120mぐらい落ち込んでいる」とケンさんが、こまめに海底地形を説明してくれた。風と潮から見て、魚は潮上の根の落ち込みにいるはずであるから、船の流れを計算して、ジグを落とし始めた。
一流し目、40mの頭を過ぎたところでジグを落とす。120mの海底に素早く10oz のジグを送り込み、底をとってから100mの所までハイスピードジャークでジグを上げる。カツカツという小さな鈍いアタリが手に伝わってきたので、誘いをかけるためにロッドを細かくシェイクしながら、さらに10mルアーを上げる。
またカツカツと小さなアタリがしたので、大きくしゃくって、細かくロツドをゆらして誘ってみると、ロツドごと海に持って行かれそうなすごいアタリが襲ってきた。瞬間、この魚が大魚であることを僕は確信することができた。
一度走りだした大魚は自分の生活域まで戻ろうとする。幸いなことに、この魚の生活域はこの40mの根ではなく、250mの深海なのであろう。350mのラインは一気に50mを残してすべて出されてしまった。船で魚を追いかけることはせずに、ラインの位置が船底に入らないように、ケンさんに船を回してもらった。ヒットしてラインが止まった時が、午後1時20 分である。

 

さて、ここからのポンピングである。魚探を見ながら「200m水深」とケンさんが言う。
まず鋭く、短くカウンターのようなアワセをもう一度してから、ハーネスの位置を決めてポジショニングを決める。

大魚が暗い海底で次の行動を決めかねている間に、フットポンピンクでゆっくりと 7.6ftのロッドを半円を描くように曲げて、プレッシャーをかける。やがてゆっくりとロッドトップが持ち上がるのを確かめて、さらに巻き取って再びプレッシャーをかけると、ゆっくりとジワジワと魚の頭が少しずつ持ち上がるのがわかった。

それから一気に巻けるところまで巻き取るわけで、ここでリールにラインをためておかなれば、次の走りはラインブレークにつながってしまう。
ラインを150m巻いたところで魚はポートの真下に入ってしまった。

ここでロッドの角度を付けすぎると、ロッドがブレークしてしまう。

ロッド角度をゆるめてのポンピングをして、さらに続ける。

午後1時30分、魚はゆっくりと泳ぎながら赤い魚体を浮かせた。

ケンさんがギャフを打って、2人で魚をポートの上にひきずり上げた。
「アカブリだよ……」とケンさんは、ため息にも似た声で言う。

「助からなねェなァー」また、ぽつりと言った。
200mの海底から一気にひきずり上げられた魚は、その水圧の変化をまともに受けたに違いない、釣り師は、釣った喜びと魚を殺した落胆を同時に味わうわけであるが、喜びの方がはるかに大きく自分もやはり釣り師であったかと思い知らされたのである。
「ヒレナガカンパチだよ、大物をアカブリと言うんだけれど」ケンさんが説明してくれた。

午後2時、その日はロッドをしまい甲板で昼寝を決め込んだわけで、4時に磯から上がってきた、JGFA審査委員長の村上さんに選定と検量をお願いした。魚はヒレナガカンパチ、全長186cm、体重50.0sであった。
この魚を釣ることが出来たのは、吉田船長の優れた山たて、海の目利きのおかげである。優秀なガイドや船長に会えることは、釣り人にとって幸せである。誌面をもって感謝としたい。

 

魚の選定、同定方法
魚の同定検索については東海大学出版会の「日本産魚類検索」を、いつも参考にしている。今回のヒレナガカンパチについては、下記特徴の通り、この魚が第2背鰭部が鎌状であり、尾鰭先端は白く無かったことを確認して、同定した。いろいろな釣り雑誌を見る限り、ヒレナガカンパチとカンパチの混同があるように見受けられるので、参考として日本産魚類検索のp.692の部分を
抜粋して、掲載させていただく。

活躍したタックル

ロッド: BG TUNA 7.6ft

リール:PENN9500ss

 

参考文献

「孤島の生物たち」小野幹雄著 岩波新書