35回
小笠原釣紀T
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海洋島・小笠原 この船長は母島北村の生まれで、戦争中は福島に疎開して戦後一度島に戻ったものの、占領米軍によってすぐに強制疎開させられた。大学時代、フェンシングでならし、復帰後すぐに母島に帰り以来25年漁一筋できたわけで、小笠原屈指の漁師である。 強い太陽の陽射しは、顔に深いしわを与えた代わりに体に64歳とは思えない、若々しい筋肉を未だ与えているのである。 切り立った断崖は、屏風のようにつながりながら、堅い岩盤の地層をさらけ出し、覆いかぶさり、曲がり、ずれ、この島々がいかに地殻変動が継続して起きたかがしのばれる。 小野幹雄著「孤島の生物たち」によれば、「海に囲まれた島がなぜできたかというと、大きく分けて2通りの成因が考えられる。一つは、大陸の一部が切り離されて島になったものである。もう一つは、成因は海の底から陸地が盛り上がって島になるものである」とある。 前者は氷河期の海面変動の海進によってできたもので、大陸島といい、大陸の動植物がそのまま閉じこめられてしまう。一方、後者はほとんど海底火山の噴出によっていきなりできた、いわゆる海山として出現した。 その後、隆起したり海面低下(海退)によって島になったもので、海洋島と呼ぶ。大陸島は西表島や僕の住んでいる石垣島などで、海洋島は南大東島や今回の小笠原の島々である。 |
さて、釣りである。 「そろそろ山の頂上ですよ。水深105mとケンさんの声が聞こえたとき、ゴツゴツとしてた鮮明なアタリが釆たので、鋭くアワセて、一気にラインを巻き取ると、2分程で魚は浮いた。15sのシマアジである。 シマアジは4〜5sのものが多く、7〜8s以上をオオカミと言って、釣り師の間では最高のターゲットである。多分、僕の知っている限りでは、日本で釣りで釣れた最大のシマアジであろう。正確な検量の結果は14.8kgであった。午前中に何本かの20s前後のヒレナガカンパチが上がった。 |
大魚の確信 鰹鳥島を経て南崎に近づくと、島に沿って小さな火口のような、すり鉢形の窪みがいくつか見える。 そのいくつかは波や風で削り取られ、火口断面をいわゆる小火山をすっぱりと2つに割ったように見えるわけで、この島が多火口を持った火山島であったのではないかと錯覚してしまうが、実際は何百万年の間、変動を繰り返し浸食されたわけであるから、確かなことは分からない。さらに進むと、飛び出した東崎が見えてくる。その沖1マイルの所に根があるそうである。 |
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さて、ここからのポンピングである。魚探を見ながら「200m水深」とケンさんが言う。 大魚が暗い海底で次の行動を決めかねている間に、フットポンピンクでゆっくりと 7.6ftのロッドを半円を描くように曲げて、プレッシャーをかける。やがてゆっくりとロッドトップが持ち上がるのを確かめて、さらに巻き取って再びプレッシャーをかけると、ゆっくりとジワジワと魚の頭が少しずつ持ち上がるのがわかった。 それから一気に巻けるところまで巻き取るわけで、ここでリールにラインをためておかなれば、次の走りはラインブレークにつながってしまう。 ここでロッドの角度を付けすぎると、ロッドがブレークしてしまう。 ロッド角度をゆるめてのポンピングをして、さらに続ける。 午後1時30分、魚はゆっくりと泳ぎながら赤い魚体を浮かせた。 ケンさんがギャフを打って、2人で魚をポートの上にひきずり上げた。 「助からなねェなァー」また、ぽつりと言った。 午後2時、その日はロッドをしまい甲板で昼寝を決め込んだわけで、4時に磯から上がってきた、JGFA審査委員長の村上さんに選定と検量をお願いした。魚はヒレナガカンパチ、全長186cm、体重50.0sであった。 |
魚の選定、同定方法 |
活躍したタックル ロッド: BG TUNA 7.6ft リール:PENN9500ss
参考文献 「孤島の生物たち」小野幹雄著 岩波新書 |