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サムネイル36回

小笠原釣紀U

 

 

 

 

 

 

小笠原を初めて見た人間は?
この無人の海洋島に初めに渡ってきたのは、日本人ではない。

ハワイ諸島あたりのポリネシア系の人かもしれないし、小笠原の南のはずれ、硫黄島から出土した古代石器は、サイパンやグァム島あたりの南方マレー系石器とよく似ている。

また、ボルネオやフィリピンから北斗七星を目指して北上した人々が、なんらかの理由で琉球列島からそれて小笠原諸島に至ったのかもしれない。いずれにしても、初めに発見したのは太平洋の海の民であろう。
ともあれ、マゼランが、クックが、○ ○島発見などという西洋社会から見た見方は、私はあまり好きではない。人類は、アフリカを起源として地球上に拡がっていったわけで、最初に到達した人間こそ発見者なのである。
日本から見た場合、大槻文彦著の小笠原新島誌によれば、信濃深志の城主、小笠原貞頼によって文禄2年(1593)に探検されたとあるが、貞頼自身がこの世に存在していたのかどうかを疑問視する説もある。

その後、江戸時代に入って小笠原島探検の船が出されるようになった当時は、小笠原とは呼ばずに、ブニン(無人)とかブジン島と呼んでいた。

これがなまって、国際的にはこの島々をボニンアイランドという。
19世紀初めに多くのハワイ系や西洋系の移民が入り、その後、入植した日本人と共に小笠原の開墾に尽力したが、第2次大戦後、日本人系住民は、アメリカ軍によって昭和43年まで、22年間にわたって強制疎開させられた。

言うまでもなく、今回お願いした三徳丸船長、吉田謙吉さんも、その一人であったことは前回書いた通りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ランディング・リリースとは?
2日日からは、ジグのトリプルフックをバープレスにして、海面でできるかぎりリリースを試みることにした。船長のケンさんは残念そうな顔で同意してくれたものの、彼にとっては船の上に上げて港で皆で喜んでもらい、おいしく食べてもらいたいというところだろうが、なんとか押し切らせてもらった。
初めは黙ってバープレスにして釣りをしていたのだが、20kg近いキハダを海面近くでバラすのを見て、ケンさんはフックをチェックした。

「これじゃ、かえしがないじゃないか!」と、一度怒られてしまったが、初めに説明をしなかった自分が悪いと思って、あやまって、改めてやらせてもらうことにした。

熱心に努力してくれる船長には、やはり、どんなことでも相談すべきだとつくづく思った。
さらに、120mの海底から釣り上げてくるのだから、30〜50mの水深で3分ほど魚を減圧させ、海面近く3〜4mのところでさらに1分ほどウェイティングさせてから、海面でフックを外せるものは外してやることにした。
「写真とらなくていいのかぁ?」とケンさんに何度か尋ねられたが「まぁ、昨日の186cmがあるから」と言うと、なんとなく納得してくれた。
「チギはヨ、むなびれの横をハリで刺してエアーを抜いてやるといいよ」と特製の細いハリを見せてくれる。チギというのは、バラハタや赤っぼいハタを総称して言う、小笠原の方言である。
そのうち18sのヒレナガカンパチがガッチリとハリを飲み込んで上がってきたので、十分海水で濡らしたルアー用手袋をした手で尾の付け根を持って、ショックリーダーで支えながら、海水で冷やされたデッキの上に上げてハリを外した。

「逃がしてやるなら、頭を海の底に向けて、いっきに潜っていけるようにすりゃ元気にもとに戻れるなぁ−」と細かいアドバイスをしてくれるこの人は、よほど魚が好きなんだなと、僕はふと思った。
釣りのリリースに完璧なものがあるとすれば、それは釣りをやらないことだろう。だから、どのランディングもリリースも完璧なものはない。釣りそのものが魚に相当なダメージを与えている。

それを、人間のまた釣りたいという欲望と、一方的な偏愛と自己満足とによって、逃がす、リリースしてやることになる。釣られて前より元気になった魚など、いやしない。
が、だからといって、ランディングの不自然さを言いながら魚を殺す人は、問題をすりかえようとしている気がする。釣って殺してすっかり食べてやるのだと言われた方が、わかりやすい。

 

釣りは、何尾釣ったかではなく、どういう釣りをしたかである。
3日日から、磯に上がっていた上屋敷隆君と鈴木葉一さんが船のメンバーに加わると、いっペんに賑やかになった。
「バープレスにしてね、減圧させてね、 ……」と話し始めると、上屋敷君も葉一さんも、面白いから自分達もやってみると言いだした。
「僕はねぇ、トリプルの1本はバーブ付きで」と、パチパチと2本のバーブをつぶす葉一さん。「鈴木さん、フリッピングのバスロッドで、トライしてみるね」と上屋敷君。

10ozのジグで、でけぇ−イソマグロ!」と、僕もつられて、はしゃいで、ハイスピードのディープジギングを3人で頑張りだすと、すぐに次々とヒットする。
0〜20kgどまりのカンパチが釣れる。磯に登っている村上さんやカメラマンの足立さんも、キハタをビッグペンで何尾か釣っているらしく、近くを通ると両手を広げて、「キハダが寄ってるよ」と叫ぶ。

150sのヒラガシラ
切り立って平行に天に伸びている2本の岩の沖にさしかかった。
「この辺は、イソマグロのでかいのがいるよ」と船長が言うものだから、急いで 10ozのジグを落とすと、80mのところでぴたり止まってしまった。水深は120mと船長が魚探を見ながら言う。
「根がかりみたいな、アタリだね」とロッドをあおってみたり、鋭くアワセてみても、ぴくともしない。魚が感じてないのである。ただゆっくりと、ジリジリとラインは出ていくものだから、僕も完璧なポジショニングをして、ドラッグテンションを10kg近く上げてみた。
伸びのないPEラインから、巨魚の頭がかすかに左右に動くのがわかる。

こうなれば小細工は通用する魚ではないことははっきりと判ったので、膝を目一杯に落とし足腰を使いながら、ゆっくりとしたフットポンピングをする以外ない。5分が経過した。
まだラインは100m近く出されているし、さらにもう一度、20mラインを出される。得体の知れない大魚である。力は尾鰭ひとふりで10mはラインを出されるに違いなく互いの動きをじっと見ながら、対決しているのである。10分がたった。
魚の頭はゆっくりとこちらに向き、あまり動きたくないこいつは、無駄なく反転のチャンスと一気に走りだす頃合いを見ているようである。マグロや大カンパチ用の7.6ftのロッドは今まで見せたことのない曲がりを見せながら、ジリジリと魚との間合いを詰め始めている。
15分後、深青のはるか底に回りながら上がってくる魚がみえる。それは徐々に、ボートに近づき、長いダブルラインがリ一ルに巻き込まれた時に、敢然とその姿を見せた。
「こいつはヒラガシラだよ。こっちの身が危ないから」と船長。
「じゃロッド、船長、持ってくれる?」
僕はショックリーダーを握り、持ち上げるが、海面まで浮き上がろうとしない。幸い、バープレスのジグは外口に掛かっているので、一番短い析でショックリーダーを切った。海の食物連鎖の頂点に立つ王様は、その体色を青灰色に変化させて、何事もなかったように海底へと帰っていく。
「すげェ、デカイ!」と上屋敷君。「3mぐらいで150kg以上はあるだろうね」と船長。
ショックリーダーを持った時に、得体の知れない力が、大魚から伝わってきた。それは警告にも似ていた。僕は、引いて浮かせるのを止めて、すぐにショックリーダーを切ったのである。
ヒラガシラはメジロザメ目、ヒラガシラ属の魚で、水深200m前後の沿岸、外洋域に生息し、汽水域や砂浜に出現することもある。
サメかとよく言われるが、実は今まで、これほどすごい魚と対峙したことはない。

 

実感のない夢
ポートの後部で昼寝をすると、気持ち良い南風がほどよく涼しさと湿りを運んでくれる。大海原を渡り小笠原にやってきたであろうポリネシアの人々は、カヌーの上で僕と同じように風に吹かれ、まだ見ぬ新天地を夢見ていたに違いない。
夢の中で、初日に釣った大ヒレナガカンパチをリリースした夢をみた。船の中央部から、まっすぐ泳いでいった魚の光景だけが残り、手に残る実感も重さも、何も感じることができなかったのである。
釣りは殺生であり、僕は釣り師であった。
目が覚めると、上屋敷君がバスロッドでみごとなカンパチを釣り上げている。
「鈴木さん、元気に帰りましたよ」と声が飛ぶ。
「よく寝たねェ! 魚が待っているよ」とニコニコの船長のケンさんが話しかけてくれた。

 

参考文献

写真帳 小笠原  倉田洋二 編

日本産魚類検索 全種の固定  中坊徹次 編

孤島の生物たち  小野幹雄著