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サムネイル44回

ミンダナオ島釣紀@

アブサン川 幻の大魚を追って

 

フィリピン南部ミンダナオ島の夏は、4月、5月である。だから、子供達の夏休みもこの頃である。

戦前、多くの日本人が入植したマニラ麻で有名なダバオは、この島の南にあるが、今回訪れたブツアンは、島の北にある町である。

マニラからフィリピンエアーの国内線に乗り換えて、島伝いにビサヤン海からボホール海へと南下して行く。青く澄んだ海は穏やかであるが、島という島の森からは熱帯雨林は消え、代わりにカルスト地形のような無毛の原野が広がっている。

「ほら、あのボホール島の近くにある小さな島がマゼランが始めに上陸した島です。」と、サヤエンドウのような形のこじんまりとした島を、ガイド役で同行してくれている久保さんが指を差した。

「でね、ブツアンの人は、マゼランは始めにブツアンだって言うしね、どうしてあんな小さな島に上陸する必要があるんだろうってね・・・」

「マゼランはフィリピンの人にとって、侵略者なのですか?英雄なのでしょうか?」と、ぼくが聞くと、

「この国は唯一アジアでキリスト教を国教とした国です。宗教的なことや、それに近い質問は避けておいた方が無難ですよ。」と言って、言葉を切った。

16世紀、スペインの植民地戦略の中にキリスト教の果たした役割は大きく、それ以来、フィリピン人の中の美化されたスペインが、切り口を変えると色々な見方が出来るわけである。久保さんは、そう言いたいのだと思った。

ブツアンは、大河「アブアン川」のデルタに栄えた町で、古くは紀元前に太平洋に広がって行く海の民の基地として近代は熱帯雨林、とりわけラワン材の伐採加工の積み出し港として栄えている。

アブサンリバーの中流部。このミルクコーヒーの濁った川をあっちに行ったり、

こっちに行ったりして、大中小のルアーを投げまくり頑張ってみたが、幻の大魚は釣れなかった。

 

空港から15分車で走った所にパラダイスビーチリゾートという我々の宿があった。センターにはマンゴーの大木があって、その周りに小さなコテージが5〜6件並んでいるだけの簡素な所であるが、周りはバナナやヤシの木が生えてて、ムっとした暑さと白い強烈な太陽光を少し和らげている。

前を見ると、そよ風になびくボホールの海がサワサワと波立っていた。手漕ぎの小さなバンカーボートが沖にも行かず、岸にも寄らず、ゆっくりと漂うように動いている。赤屋根のビーチハウスと黒い砂浜の間はブルーに塗られた柵があるのだけれど、中央の大きなゲートは半分開いているのである。遠浅の沖には、竹で組んだ櫓が見えている。多分大きな四つ手網で、魚を捕っているのだろう。

砂浜では、子供達がワイワイと騒いでいる。

 

写真左:ブツアンの町の中にあるアブサンリバー唯一の橋。この水辺から人々はウォーターバスの大型バンカーに乗る。

 

そもそも、なぜこの町に来たかというと、これまた一冊のノンフィクション本が出来る経緯がある。

つまり、パプアニューギニアにしかいない、ニューギニアバスの一種、学名ルチアヌスゴルディエイ(LUTJANUS GOLDIEI)を1990年の7月に西表島浦内川の上流で釣り上げたことに始まる。正確に言うと、友人の早稲田釣研OBの渋谷さんが釣り上げた。

かつて、未確認ながら体長1m体重9kgの同種の魚が捕獲された写真があったりして、これが日本の未知の魚でニューギニアバスではないかと言う事になった。

その後、他の人が稚魚を捕まえて学会に報告して、新称、和名ウラウチフエダイということになった。

学会に発表されてしまえば、一般的には興味が薄れがちであるが、ぼくには南半球のパプアニューギニアにしかいない巨大な淡水魚が、なぜ西表島の浦内川淡水域にいたのだろうというミステリーが、それ以来、頭の中に巣くっているのである。

色々調べていくうちに、西表島では産卵に至る個体数が無く、東京湾で見られるロウニンアジの如く、死滅回遊でやって来るところまではわかった。淡水魚といっても、幼魚の時代は海中にも馴染むことは判っていたので、北半球のどこかにこの魚の群生があるのではあるまいかという推理をした。

浦内川上流の滝の辺りまでウラウチフエダイは生息している。西表島には死滅回遊でやって来ることがわかった。

 

紆余曲折があって、時間が流れ、このミンダナオ島に注目したのは2年ほど前である。

なぜなら、北赤道海流が向きを変えて黒潮となって北上する地点にあり、更にアブサン川という大河があるからである。

フィリピンの名ガイド、久保さんと3年前に知り合ってから、少しづつ資料を集めてもらった。その中のアブサン川のギガウという魚がどうも怪しいということになった。ギガウは4種類いて、ゴマフエダイ、バラムンディ、その他の中にニューギニアバスの一種が含まれている可能性が大きい。

今年の4月に入って、2種類のギガウを冷凍保存してあるという久保さんからの連絡が入ってきた。

丁度、5月の中旬にJGFAのパラオ諸島魚類調査団に参加することが決まっていたので、ぼくはそのまま日本に帰らずにマニラで久保さんと合流して、ブツアンに来てしまったのである。

宿舎に入ってすぐに、問題の魚を持ってきてもらった。そして、その一尾がぼくが追い求め、推理を重ねてやっと会えたニューギニアバスの一種であった。だたし、ウラウチフエダイとの特異性については、日本に帰ってから細かく調べることにした。

ぼくのために冷凍保存されていたギガワ。ぼくが追い求め推理を重ねてやっと会えたニューギニアバスの一種。

 

と、まあ普通は話はこれで終わるのだが、終わらないのが釣り師なのである。

前回、西表島では場所予測から何から何まで調べ上げて、たまたまシケで海に出られなかった渋谷さんと川に入って彼が釣り上げてしまった。その時、発見した喜びは99%だったが、1%釣り師として心残りが燻り出したのである。今回も、99%涙が出るほど嬉しいのであるが、1%のモヤモヤは消えない。と、まあこういう次第なのである。

「恋は男を青年に変えるが、釣りは男を少年に変える。」と、ぼくは考えるわけで、例えば50近い男が18歳の小娘に恋したって良いし、60歳の男が小さな岩魚に血道を上げたっていいわけである。

つまり、恋と釣りは歳は関係ないのです。そして今回、ぼくの心は少年なのである。

 

次の日、アブサン川に行ってみると、ボートが無い。

やっとチャーター出来たのが巨大な50人乗りの両サイドにアームを持ったバンカーボートで、長さが15mもあった。普段は人々のウォーターバスとして使っているものだから、1日チャーターというわけにもいかず、1〜2時間の合間を縫って使わせてもらった。

この15mボートで、バスフィッシングみたいな釣りをやれと言う方が無理な注文である。それでも、無理矢理ミルクコーヒー色の濁った川をあっちに行ったり、こっちに行ったりして大中小のルアーを投げまくり、いんぎんに隅々の石の周りや立木の周りを攻め込んでみたのだが、サッパリなのである。

最後は、川の中央部をロッジの少年と2人でトローリングまでしたのだけれど、釣れるのは浮き草ばかりなのである。その後3日間、頑張ってみたのだが、何も釣れない。

  

写真左:チェリータの甥のエリック少年は、ぼくの竿のガードマンである。

この時期、ミンダナオ島の子供達は夏休みで、桟橋は今日も多くの人で賑わっていた。

 

川の両サイドには、材木加工場が点在して見える。島の奥地から、丸太イカダで運ばれて来て、一部はここで裁断され、輸出されるのである。

ラワン材の木は1mの幹になるのに、およそ400年かかる。これは、熱帯雨林の中の話であって、一旦伐採されてしまった地域が元の状態に戻るのには、最低数千年という長い時間が必要なのである。

つまり、森から木を切り出してしまうと、数センチしかない有機表土はすぐに雨で流され、酸化鉄、酸化アルミ等を主成分とした無機赤土が露出し始める。

こうなると森は、既に森では無く雨水を貯めるダムの役目も果たさず、雨が降ると、赤土泥流は伐採道路や伐採溝から一気に流れ込む。無機赤土は水に溶けることが無いので堆積し、水生動植物から光を奪ってしまい、食物連鎖のリングを破壊していく。

豊かな森がなぜ、豊かな河や海を作るのかということは、あまり知られていない。理科的に言うなら、森でしか作れない有機鉄など、イオン化して水に溶ける動植物の細胞の中に入っていける有機ミネラルが河や、海の動植物の成長に重要な役割を果たしているからである。

つまり、森を破壊してしまうと、水自体がミネラルを失い、隣接の海は砂漠化が進む。

話を元に戻すなら、アブサンリバーの河の悲劇と言って良い。(次号へ続く)

10年近く追い求めて来たものが、少しづつ妄想から抜け出して行くのを感じつつ、現在もINGなのである。

 

写真右:ぼくが集めたニューギニアバスの資料や写真

 

取材協力

パシフィッククルーズ03-5690-2568

パラダイスビーチリゾート(ミンダナオ島)