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サムネイル45回

ミンダナオ島釣紀A

マイニット湖幻の大魚を追って

 

 

 

 

遠くに光るものが見えると、それが段々熱を帯びながら大きくなって、ぼくを呑み込み始めた。体中に粘っこい汗を噴出しているのを感じて、ぼくは目が覚めた。

4時50分、東のヤシ林の方がボーッとグレーに白み始めている。

ニワトリの鳴き声がかすかに聞こえるのだけれど、シーンとした低温の夜明けの気だるさが蒸発しない湿気となって、体にまとわりついているのである。

 

河を諦めたぼくは、最後の日に久保さんとチェリータママと運転手のアレックスとぼくの4人で、車で2時間の所のマイオニットという湖に出掛けた。

ミンダナオは、元々フィリピンではなく、一つの島であった。

ガイドブックにはフィリピンは100以上の民族グループから成る多民族国家で、80%以上がカトリック教徒であるが、ミンダナオ島はイスラム教徒も多いとある。

民族という言葉が、作られてからまだ100年しか経っていないにも関わらず、19世紀から20世紀にかけては、この民族主義という考え方が世界中の流行となった。

ぼく個人的には、民族という言葉はあまり好きではなく、人類は混血し、時と共に姿形、風俗、習慣が移り変わって行くものではないかと思っている。

つまり、民族とは幻想に過ぎないと思う。そんな背景から、山岳地帯でゲリラ組織とフィリピン国軍との小競り合いが、今でもあるらしい。

熱帯は、飛び抜けた昼間の明るさの反動の暗さを、夜明けに集中させるのである。

  

 

マイニット湖は、ブツアンから60km北上したツバイ川の上流の山の中にある湖で、広さはほとんど中禅寺湖に近く、ディウアタ半島の中にある湖である。多分、海岸線から海に沿って連なる山々は活断層で出来たものと考えられる。

この辺は、温泉がそこら中にあるという話を久保さんがしてくれた。

マイオニットとは熱という意味らしく、湖の中でさえ幾つもの熱水の噴出しがあるという。

久保さんとロッジのオーナー、チェリータママと運転手のアレックスと、ぼくの4人で出掛けた。

11時頃、北の湖畔のマイニット村に入った。抜けるような青空に入道雲が沸き、砂岸ではのどかに水牛が行水している。

いくつも小さなバンカーボートが並べられているので、この湖に魚が居ることがわかってホッとした。

チェリータママがボートを探しに行く間、久保さんと水岸を見に行った。

「この貝、珍しいですよ!」と、久保さんが小さなタニシみたいな巻貝を拾い上げた。

「ほら、ここにらせん状にトゲがあるでしょう。海の貝にしか見られない特徴なんです。淡水湖では貴重です。」

足元には、まるで小粒の砂利のように小さな貝が堆積している。久保さんは、丹念にその中から珍しい貝を見つけ出しながら、話を続けた。

「ここは、多分日本人は来ないはずだし、誰も調べていないんじゃないかな。」

「写真も撮って、じゃあ少し日本に持ち帰って貝を研究している所に送ってみましょうか?」と、ぼくが言うと、

「すごく喜ぶと思いますよ。」と言って、ぼくの持ち帰る小さな欠片を選んでくれた。

  

写真左:よくわからないタニシ  写真中央:多分、テラピア  写真右:マイニット村の魚市場で売られていた魚。種類はよくわからない。

 

その内、チェリータママが一人の漁師を引っ張って来て、船で行こうということになった。

岸を離れてすぐに、彼が釣ってみせるというので、やってもらうと、なんと4cmぐらいの小さな魚をサビキで釣りだした。ぼくの持っていたルアーの最小が3cmのラパラであるから、ガックリきてしまった。

仕方なく、1時近くになってトローリングを始めてみた。風一つなく、影一つなく、波一つない湖を小さなエンジンの音がのどかに響き渡り、竿先から流したラパラの影だけが綺麗に澄んだ水の中を小刻みに泳いでいるのである。

ママは日傘を差して、ボートの中央に乗っている。

久保さんはしきりに「釣れそうですか?」と、心配してくれるのだけれど、虚しい時間というよりも、圧倒的なのどかさが先にたってしまって、ボーッと遠くに沸き立つ入道雲をぼくは見ていた。

1時間ほど流してみたのだが、ついに穂先はピクリとも動くことは無かった。

帰り、船長に日本語で挨拶をして深々と頭を下げると、無表情な顔に笑みが溢れ、手を自分に差し出しながら言った。

久保さんが「よくわからないけれど、また、おいで。と言ったみたいですよ。」と、教えてくれた。ぼくは釣り竿をしゃくる真似をして、湖の方を指すと、船長も両手を広げてニコニコとして、首を縦に振った。再び釣りに来ることが通じたらしい。

人間はコミュニケーションが必要である。言葉のコミュニケーションと心のコミュニケーションで、同じアジアの人間なんだなと、何かそのオッサン漁師を見て思った。

 

 

 

くり舟は、まだ使われている。

  

写真左:マイニット湖で、ちょっと痩せた水牛が行水している。  写真右:マイニット村の魚市場の前にあるビリヤード場。

 

帰りに湖畔の市場に寄って、若い英語の出来るオッチャンに聞くと、ギガウは新月に釣れるという。

マイニット村は美しい村である。垣根にはブーゲンビリアが咲き乱れ、そこら中に当たり前のように様々な色のランが咲いていた。

チェリータママは32歳で、日本語が出来る。16歳の頃に日本に半年ほど暮らしていたらしい。気の良いママは、久保さんと共にここ何日か色々と手配してくれているのである。

「鈴木さん、ほんと釣り好きねェ。」と、ニコニコと釣れないことを自分のことのように考えて、あそこに行こう、ここに行こうと新しいプランが出てくるのである。

運転手のアレックスは、ちょっと英語が苦手らしく、久保さんの話すビザヤ語がほとんどであるが、おじいさんが日本人だという。

コテージは簡素であるが、ここに勤めているローレンは、日本人とこの2月に婚約したばかりである。

「ホエン ユキオ カムバック?」と、冷やかすと18歳になったばかりの顔がパーッと花の咲く笑顔に変わる。久保さんが届けてくれた彼からの手紙をぼくにも見せてくれて、

「オーガスト、カムバック ユキオ」と、まだあどけない笑顔を見せてくれた。

ぼくは部屋の中を殆ど片付けない性格なのであるが、彼女らは、ぼくの衣類を毎日洗濯し、ほとんど完璧に畳み込み、その上、ルアーなど一体何時間かけてやってくれたのだろうと思うほど、整理整頓してくれた。

いわゆる客というよりも、ファミリーのスペシャルゲストといった扱いで、心に染みるものを感じた。そして、日本語はまだ話せないけれど、ローレンなら日本に行っても、日本の田舎できっと幸せになれるだろうと思った。

 

パラダイスビーチリゾートは、小さなコテージが56戸並んでいる。

 

9時を過ぎた頃、遠くで雷光が光り、にわかに風が吹き出した。夜の激しいスコールは、かえって白い深い霧のように辺りを包み始めた。

ぼくはチーク材で出来た椅子に腰掛けて、コナン・ドイルの推理小説を読み始めた。生温いロイヤルサルートをストレートでガブリとやると、ほろ苦い香りと共に、急に辺りから熱帯のジャングルの叫びが聞こえ出したのである。

 

湖畔で記念撮影。左からチェリータママ、名ガイドの久保さん、オッサン船長、そしてぼく。

この後、御礼を言うと船長はにこりと笑った。

 

マイオニット村の綺麗な町並み

 

取材協力

パシフィッククルーズ 03-5690-2568

パラダイスビーチリゾート (ミンダナオ島)

やっと手に入れたマイニット湖の地図