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サムネイル55回

サイパン釣紀行

 

プロローグ
2000年の正月が明けた頃、2月の釣行が決まらず、あれこれと悩んでいると、我がクラブ・FISHERMANオーナークラブの大嶋匡貴君から連絡が入った。
「サイパン、釣れまっせ…」と携帯電話の向こうで囁く。
「で、どぉ…?」
「正月に北のリーフで6連発で切られました。」
「サメ…フゥー…」
「いや、あれは絶対に違いますね。イソマグロでっせ、なんせ素晴らしい引きで!」「サメマグロ…???」
「エー、なんですか? よく聞こえません! イソマグロと言いました。ね、そう思うでしょ」
「イソマグロ?…」
「テニアン島、南の沖に結構大きい浅瀬があって、そこの近くで一月前に120Lb のGTが釣れたの…。

それが、大きすぎてボートに上げるのに3人がかりだったらしいですよ!」
「へえ−…おおきいね、ほんとにGT??」
「あたりまえじゃないですか!アジで他に、そんなにでかくなる奴がいますか」
「120LbのGTねぇ−……」とまあ、あっけなくサイパン釣行は決まってしまい、10名の参加者が手を上げた

 

 

 

 

 

サイパン島へ
2月の西表島ジャングルフィッシングを終えて、その足で成田からワンダーブルーの東完治郎君、サンスイ池袋の山田隆君ら東京組と合流してサイパンに向かった。
JALの翼で4時間、昼過ぎにはもう宿のサイパン第一ホテルに着いた。
「2月なのに夏みたいですね」と、すでに着いていた関西組SEAMANの山本カツオ君。
「夏です!」と大嶋君は呆気ない。
29℃、晴れ、ここ何日かは良い天気が続いていると、現地のコーディネーターの小笠原君が言う。彼は、もともと大手旅行会社にいたのだが、サイパン転勤で何年か過ごす間にすっかり気に入って住みついたらしい。
「ダイビングも凄く良いです。それでボート買ったら、やっぱり釣りでしょう。」と笑う。
「それってチャーターできます?」 東君がすかさず聞いた。
「やっぱり、遊漁船ライセンスみたいなものが必要ですね。明日から乗っていただくクルーザーは45ft、350馬力2機駆けの結構、波に強いボートです」

 

一番の繁華街、カラパン
ホテルにチェックインして、プールで遊んでから夕食をとるためにカラパンという町に出た。
「まじめなマッサージいかが、おにさん!!」と、お姉さんに声を掛けられて“おにさん”と言うところが耳に残ったので、ソッチの方を見ると日本語で”マッサージ政府公認”と書いてある。
周りをよく見ると”おみやげ政府公認” ”両替政府公認”なんでも政府公認である。

観光客の8割以上を占める日本人はそれだけ“御上”に弱いのかと思うと、いささか情けなくなった。10名の男が、ぞろぞろと歩いていると20mおきに多方面の”お声”が掛かる。
5〜6分歩いたところに、ウェスタン風のステーキ屋があったので、そこに入った。 400gのテンダーロインが30ドルと格安である。ビールを飲んで騒いでも、1人40ドルでおつりがきた。

 

テニアン島へ
次の朝8時に小笠原君が迎えに来てくれて、20分離れたハーバーに着いた。

きれいに整った港には、30艇あまりのクルーザーが浮き、浅橋にきちんと並んでいる。
「テニアン島の北から、ジグをやりながらタツミリーフでGTを狙いましょう。120Lb がでたところの近くです。」 大嶋君がみんなに火を付けた。
2時間かけてテニアンに着いた。北端からジギングを始める。アタリが1回2回と続いたけれど、なかなか魚はラインを引きずり出さない。
午後に入ると、海は急に風が強くなってきた。
テニアンの南沖にあるタツミリーフでGTを狙い出すと、すぐに隣の船の山田君が中型のGTをヒットさせた。さらに風が強くなったので、午後1時 50分、安全を考えて帰港した。



サイパンは
正確に言うなら、サイパンは北マリアナ連邦 北緯14度から22度ぐらいまで南北に1400qの一列に並んだ14コの島々からなる。そのうち、人が住んでいるのは5島である。サイパンは、それらの島国の首都がおかれた島である。
内政は、独自の憲法を持ちながらも対外的には自治領として、アメリカの権限の下にある。
「あの船は、極東で何かあるとすぐ出動できるように、いつも待機しているのです。」と大嶋君が言う。

ちょうと、ぼくらの泊まっているホテルの前に巨大なタンカーのような貨物船が2艇停泊していた。
「あれには、戦車や装甲車、大砲から食料・医療備品、専用テントから四輪駆動車まで、地上戦に必要な、ありとあらゆるものが載っているんです。」と続けた。
2艇は事前集積艦と言って4000名の海兵隊が、1カ月間行動できる軍事装備を積んでいる。

ちなみに戦車、装甲車など 1400両、あとは大嶋君の言うとおりである。
この船は太平洋に4艇配置されていて、他の2艇は、沖縄に待機している。東南アジア、朝鮮半島、台湾海峡に限らず、湾岸、中東まで視野にいれ、有事の際には直ぐに出動できる状態にある。つまり、軍事の論理にのっとっての待機である。軍事の論理とは”最悪の事態に対して最良の戦闘を遂行する”ことである。もともと海兵隊は、敵前上陸をむねとする部隊であるから、決してサイパンや沖縄のためには存在していない。



サイパンと日本
第1次大戦後、ドイツから日本統治下となったサイパンは、日本、韓国、沖縄から移民が移り住み、農業が発展していく。特にサトウキビ農業に携わっていた沖縄からの移住が多く、土地開墾、きび植付けなど技術的にも向上が早かった。精糖工場に、キビ輸送するためと輸出のため鉄道が敷かれ、糖蜜や酒もつくられてキビ中心の産業が盛んになった。
日本的考え方が徹底されて、現地の人もよく働いたらしい。 が、第2次大戦末期にサイパン島に米軍が上陸し激戦の末、優良農地と共に軍属民間人を含め5万人が玉砕した。雨のように降ってくる爆弾は、畑や森を吹き飛ばしたに違いない。
その後、統治したアメリカは、グアムのアメリカ軍基地に付属した軍事施設を置き、援助金をチャムロの人々に与えた。もともと必要なものだけを森や海からとってきて暮らしていた人々は、援助金により勤労意欲を奪われ、60年近くを経て、今なお農業は回復していない。
言語が英語主体になると、島の文化も薄れていった。しかし、ソ連崩壊と共に、冷戦時代が終わると、アメリカは軍隊の3割を減らし始め、フィリピンの米軍基地は閉鎖され、グアム島の基地も縮小された。それとともに、サイパンも含めた太平洋の島々へのアメリカの援助金も減少していく。
話は変わるが、閉鎖された基地のシステムはどこに移動するかといえば、ほとんど日本へ移っている。もっとはっきりいえば、沖縄本島へである。ヨーロッパ、環太平洋、極東アジアなど世界的な基地縮小の中、沖縄だけが例外と言える。それは第2次世界大戦中、日本国内において、唯一海兵隊が上陸し地上戦の末、占領した時のアメリカの占領意識が残ったまま現在に至り、また日本政府が基地維持予算の70%を支払うことにより、米基地にとって住み心地のよい沖縄になってしまったからである。
湾岸戦争やコソボで見られたように、現在の戦争は情報電子戦で無人化していく。そして、後方支援が戦闘のかぎを握る訳で、沖縄の米基地は世界一進んだ後方支援複合基地と言ってよい。

ちなみに、今の戦争においては10万の軍に対して後方支援部隊は50万とされる。
話を元に戻そう。サイパンは、もともとの住民は農耕民族のチャムロ族と少数派海洋民族のカロリニア族からなる。が、混血が進み、また他国からの移住により、彼らは全体の25%しかいない。

人口割合では45%フィリピン人、アメリカ人10%、韓国人4%、そして日本人1%(約1000人)である。

 

マッピリーフの高波
2日目、その日は、朝からかなり強い北風が吹いていた。

名古屋では大雪が降っているという。2月の北半球は、どこでも冬というわけで、ここサイパンも例外ではないらしい。

7時30分に港に行くけれど、沖は波が高くなってきている。けれど、晴れているので出港した。50ft近いクルーザーは、アップデッキまで波をかぶりながら、北上してゆく。目指すは、サイパンの北端から東北10マイルに位置しているマッピリーフ。大嶋君が6発連続で切られた場所である。
11時頃、3時間かけてやっと到着すると、波の高さはすでに4mを超えている。まるでエレベーターに乗っている気分でジギングをするわけである。
北太平洋のド真ん中にいるんだなァーと実感しながらジグを落とすと、すぐにカマスサワラが釣れた。
水谷君が小型パーチを釣ったところで、ボートのGPSが壊れたらしく、船長はポイントを見失い、しきりにボートを回すけれど、波と風はさらに強くなった。他の1艇は、すでに途中で引き返している。
これでは釣りにならないのは目に見えているからして、1時間でサイパン島まで引き返した。

 

釣りも泣く子と風には勝てない
3日目、ゴーゴーとい強風で目が覚めた。朝5時、雨まじりの風は、ホテルのベランダに吹き込んできている。とりあえず一通り、釣具の準備をしていると、みんな心配そうに集まってきた。サイパンといえども冬は冬である。釣りの雨は何とかなるけれど、風には勝てない。釣りは、天候不良ということで午前6時に中止と決まった。
9時頃、だるい体をベッドから起きあがらせて、朝食に向かう。遅い朝食を食べながら、ボーッと外を見ると、雨も上がって晴れ上がったけど、相変わらずの強い北風は、ヤシの木をゆすっている。
「正月は良かったですがね。天気がここまで悪くなるのも珍しいですよ。」大嶋君は申し訳なさそうに言う。
「泣く子と風には勝てないからね。釣りはあきらめることも、釣りの内だよ。また来ればいいさ。」
「よっしゃ、また来ましょうよ。いい時も悪い時もあるんだから、こんなに近いのなら、直ぐにリベンジしましょうよ。」カツオ君がフォローする。
少し間を置いて、「バンザイクリフに行ってみましょうか。」と東君が、ポツリと言う。
タクシーでバンザイクリフから、他の観光スポットを周わることにした。

  

バンザイ岬
風が吹いている。
サイパンの北端に、この岬はあった。グワーという音は、風の音だろうか、それとも波が砕けてくるせいなのか、どちらともつかない。悲しい音が響いている。日中の強い日差しが、周りを輝かせているのだけれど、音だけが冷たい。
北から押し寄せる大波が、垂直に切り立った岸壁に当り、帰り波がさらに、押し寄せる波とぶちあたって、スローモーションのように砕け飛ぶ。
岬には、多くの石碑が並んでいる。まぶしさで目を細めてしまうと、小さい石一つ一つが、影を落とし、人々の無念の墓標に見えた。
うなだれた頭を上げると、青い透き通った海がただ広がっていた。
”この海の向こうは日本だなァー”ふと思ったとき、ここから飛び込んだ人々は、ひたすら日本に近づくために、身を飛ばしたのではあるまいかと感じた。

決して「バンザイ!」なんて叫ばなかったに違いない。ぼくは、黙って手を合わせると、グワーという音が一瞬、消えたような気がした。

 

 

の問い合わせ

ワンダーブルー03-5433-7221(担当・東)