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サムネイル56回

南ツバハタ環礁釣紀

世界遺産の環礁とGT

歴史の町、サンボアンガヘ
マニラを早朝の4時に発って、5時半にミンダナオ島の南端サンボアンガ空港に降り立った。朝日が昇りはじめると、急速に温度と湿が

上がり始め、膨張し、粘りっこい熱帯の大気が動き始めた。
地図に描かれているフィリピンをよく見ると、老人が杖をついているようにも見える。ちょうど杖の部分がパラワン島で、腰がミンダナオ島、その腰の大事な所がサンポアンガ半島である。そこからヒタヒタとしずくが落ちているように見える島々がスールー諸島であり、このパラワン島とスールー諸島の間がスールー海ということになる。
この辺りはかつてフィリピンという国ができる前に、スマトラ、ブルネイの流れをくんだスルー、マギダナオという2つのイスラムの王国があって、海上貿易権を握っていた。この辺りは真珠と中国大陸に送られるナマコ等の乾物、それに当時、船に必要だった奴隷が主要商品であった。16世紀、スペインはさらにフィリピンの植民地化を進めるために、この国々に攻め入った。この「モロ」と呼ばれる戦争は、その後300年続く。

長い間つちかわれた貧困、悲しみ、憎しみは宗教によって正当化された時、泥沼の聖戦?となってしまい、どちらから見ても正であるが外側の第三者から見ると戦争はやはり、悪なのである。
ちょっとスールー諸島について説明しておくと、南北400kmの帯状に300を超える珊瑚諸島と火山島からなっている。その水深は浅く砂珊瑚礫からできていて海底が10m前後なので、GTやジグ等の釣りには向いていない。ここの魅力は多分、それらの島々にあるマングローブの河のなかにすむバラマンデイや、パーチ類といった汽水域の釣りだろう。
サンポアンガの渡しから、沖に停泊してある毎年乗っているサザンクルーズ号に乗り換えてバンラン海峡を抜ける。スールー海からセルベス海に抜ける海道は、このバンラン海峡とポルネオ島の近くにある、シブトゥ海峡だけである。その間 400km近くは浅すぎて、大型船は航行できない。1635年、スペインはこのサンボアンガに要塞を造って、海峡の主導権を一気に握り、盛んに行われていた王国の貿易を圧迫したのである。

 

 

ツバタハ環礁へ
「アリーナリーフに寄ってから、北ツバタハ、南ツバタハと順番に入りたいのですが」と日本人ガイドの久保さんが、今回のコース説明に入る。
「南ツバタハにまっすぐ行って、北ツバタハというコースの方が、今回のスケジュールではベストでは?」と僕は珍しく口を挟むように新しい提案をする。
なぜなら、ツバタハリーフはここ2年ほど、世界遺産の指定もあって、釣りは禁止であった。僕は、昨年から久保さんと共にフィリピンの環境省や観光省と地道にツバタハリーフでのGTフィッシングの許可を申請していたが、3月23日にその許可が下りたのである。南ツバタハは、初めて入る所となったので「この環礁にかけてみては」とメンバーに提案して、すでに承諾を得ての話であった。
スールー海のリーフを見た時、ほとんどがエッジから20mも離れると、水深100m以上となるドロップオフである。ここのロウニンアジは、この屏風状のエッジつたいに生活域を持っているわけである。このようなポイントは線上にGTの密度が濃く全体的な総量は少ないと僕は考えている。アングラーの方から見ると、一度目に攻めた時は素晴らしく、2〜3度と繰り返すと、一気に色褪せてしまうことが多い。3年続けて訪れたアリーナ環礁の場合もそんな著しい現象が見られて、僕等の行く10日前にも他のグループが入ったが、貧果だったという。
6時、本船は、北東の季節風を避けて、南側の穏やかなスロープにアンカーを落とした。南ツバタハリーフはちょうど三角おむすび形をした環礁で、一辺がだいたい10kmである。すぐに甲板に乗せてあった25ftのテンダーが下ろされ、一番初めに大島君と沢田君が飛び出して、目の前でファイトに入った。30kgのGTである。僕は2番艇の出発を見届けてからラフサイドにボートを向けた。
一投目、いきなり隣で投げていた遠藤君のロッドがしなったが、ラインは少し出されて止まった。オペレーターのダミーは黙ってボートをオフショアに20mぐらい移動してからリーフに平行になるようにして止めた。ここ3年ほど僕とコンビを組んでいるダミーは海の見方や、操船の仕方をしっかりと覚え始めている。
遠藤君は魚をコントロールしながらリフティングに入る。5分後グッドサイズのGTをランディングした。9時30分、一席マザーシップに戻って、皆で軽く朝食をとった時、7名のメンバーですでに 40尾近くGTがキャッチ&リリースされている。朝食を食べている間も、若い人たちはすぐにでも飛び出して行きたいみたいである。きっちりと食事と休憩をとり、帰船時間、波浪による危険海域の確認、無線等安全確認のミーティング後10 時30分、第2ラウンドが始まった。
ぼくは最後にボートを離れて、潮や水温等をチェックしながらポイントに向かう。遠くで館崎さんが両手を広げている。前で高野君のロッド、BIG GAME86が海に引き込まれている。20mぐらい近づいた所で見ていると、館崎さんがオペレーターに言ってボートの位置を決めて大島君がハンドランディングに入った。
慎重にショックリーダーでGTをコントロールしながら、ホールドパイテイルのハンドランディングをする。大き過ぎる場合は2人で持ち上げようと後ろに館崎さんが控えている。大島君は一気に捕まえて思いきり持ち上げると、ポートが少し傾いたけれど、GTはポートの中に滑り込んだ。30kgオーバーのグッドサイズである。この釣りにかかわった全員で持ち上げてもらい、写真をパチリ。すぐに高野君がりリースした。このように一尾で全員が楽しめるから、あるいはヒットさせてランディングしてリリースするまでをGTフィッシングとするなら、3名は3名共、釣りに参加したことになる。こう考えると、逃がすことを前提としたGTフィッシングとは粘り強いキャスティング、精神力、正確度、ファイティング、ランディング、フックアウト、リリース、チームワークと本当にいろいろな要素が入ってくる。これがすべてGTフィッシングなのだ。


夜、皆で食後に一杯飲んでいると、
「フックの外し方ってすごく難しいんですね」と遠膝君がつぶやく。
「フックがね、ちゃんと外せるようになって、一人前のGTアングラーなんですよ。エラとか口の中の組織とか、壊さないようにバープレスフックをとる。とれない時はカッターでフックを切断してから外す。要はね早くちゃんととってやることが大切なんだ」と僕は説明する。
「南の島に行ってGTフィッシングをやると、ドカンドカンってなってスカッとするけど、何かがね、足りないような気がする」と、世界中に行っている館崎さん。
「海外のね、いい所ばっかり行っていると釣れることが当たり前になってね、ドカンドカンぱっかり目が行ってしまう。日本人の釣りってね、もっと虚しくないとね、感じるものがない。釣れない釣れない、でも行きたい。自分の粘りとか精神力みたいなものを釣りと天秤にかけて一尾釣る。そうするとね、結構シブイ世界が見えてくる。“GTな人々” になれると思うよ。国内のGTを狙ってみると石垣でも宮古でも奄美でもどこでもいいけど、20kgオーバーを2尾釣ってみる。多分、1尾目はまぐれで、2尾目は狙ってってことになる」と僕は答えると、館崎さんは黙って領いた。
今回の南北ツバタハリーフのGTフィッシングが成功した陰には、パシフィッククルーズの久保貴信さんの力が大きい。彼は実に多くのコネクションをフィリピンに持っているみたいで、いろいろな角度からのアプローチを試みてくれた。
ちょうど4カ月前、ミンダナオ島レンジ9地方局を訪れて、僕たちのやり方、ノーキル、ハンドランディング、ルアーはトップウォーターであること、そして僕のビデオやアングリング誌等を見せてツバタハへの釣りの扉を開こうとしてくれて、今回の釣行となったのである。

  

 

世界遺産のツバタハ環礁を通してフィリピンに思うこと
世界遺産のツバタハリーフはこの国で一番美しい珊瑚礁であることは、言うまでもない。が、この国でおきている人口爆発は貧困と、馴れ合い、賄賂政治をさらに進めていくのである。
もしこの国が21世紀にそれらから脱皮することができるとしたら、人口抑制と西洋社会のモラルが生み出す押し付けで、一点豪華主義的な自然保護ではなく、もともとこの国を覆っていた熱帯雨林の回復を含めた総合的な創造的な国土の見直しである。フィリピンの田舎の町を歩くと、僕はいつもその道にゴミの落ちていないことに驚かされる。抜け目のない所もあるのだけれど、その人の良さ、またホスピタリティー、エンターテインメント、なによりもこの国の人々の持っている家族愛と底抜けの明るさ、女性の勤勉さ、(男はどうもいまいち)などである。

世界遺産のリーフ、ツバタハは、ドロップオフのみのポイントの持つ悲劇が見え隠れしている。我々がもし、再び同じような爆釣を味わおうとするなら、少なくとも3〜4年はそっとしておかなければ回復しないだろう。GTフィッシングの持つ破壊力は、いくらリリースが前提の釣りであってもドロップオフの環礁へのダメージは大きいのである。

 

 

活躍したタックル

ロッド: GT GAME T、 GIANT 86、 BIG GAME 86

ルアー:  S-POPlOO・110、クレイジースイマー105
ロングペン100

リール: ステラ10000H、PENN7500SS

ライン: モーリス・アヴァニ50Lb

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