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サムネイル61回

ボナペ島、そしてアンツゥ・バキン環礁へ

アイランドポッパーで行く島々

グアムから7つの島々を巡りながら、15時間かけてハワイに至るコンチネンタル956便は、通称アイランドホッパーと呼ばれている。僕は今年、2回にわたりこの便で旅した。1度目は6月にクアジェリン、マジュロからビキニに釣行したときで、マジュロではこのホッパーが故障してしまい、コスラエに引き返し釣りができなかった。

2度目は9月のポナペ、コスラエへの釣行であった。CS956便は、ミクロネシアの島々を結ぶ生活便である。

それぞれの島にそれぞれの言語と文化があるが、そのゆっくりと流れる時間と、おおらかな生き方、伝統と文化、それにキリスト教、20世紀に押し寄せてきた物欲的な西洋文明は、政治、経済、そして島の一人一人を呑み込みながら、今まさにミクロネシアは暗中模索の中にるといってよい。

 

山々が重なっている。とても南海の孤島とは思えないほど、しっかりとした尾根が連なっているのだ。

川は短いけれど、入り組んで山あいに溶け込むように入り込み、豊かなマングロープの森を形成していた。
「あの断崖絶壁の山が、ロックマウンテンといって、ポナペのシンボルなのです」と、若いガイドの望月君が言う。垂直に 200mの花崗岩でできた壁が、森の中からにょっきりとそびえ立つ。その向こうは太平洋の紺碧の広がりである。遠くにうねりが砕け散るリーフエッジが白い線状に湾曲している。
「はじめ僕はサーフィンをやっていたんです。海の仕事を探している問にタイピングのインストラクターになって、この島に来たんです」25歳の彼にとっては、毎日、海に接することが、生き甲斐なのだろうなと思った。

 

 

 

 

朝の6時にホテルに望月君がやって来た。シーマンのカツオ君も、ワンダーブルーの東君も、目をこすりながら釣り竿を持って現れた。東の空がかすかに白けてくると、一斉に烏たちが騒ぎだした。
入江の奥の何の変哲もない、簡易桟橋から、ポートは出港した。よく見ると、あちらこちらに半分沈みかけた船や座礁船が見える。
「外国からの援助で、ポートを買ってもらってもね、結局ああなるんです。日本もね、物ばかり与えないでね、人をくっつけて、何年か徹底的にトレーニングしないと、本当の援助にならない」と望月君は付け加えた。
僕は昨夜、一緒に夕飯を食べた二宮君の話を思い出した。彼は海外青年協力隊の一員で、ここポナペで木工技術を教えている。
「一貫したシステムが無いんです。2〜3年の任期で来て、それぞれに教え方が任されているから、いままでどのようにして教えたかがわからない。結局、自分で考えて教える以外ない。本来、本当に教えようと思うなら、骨を埋めるつもりで来ないと、だめだと思う。日本の海外援助や、僕等のような協力隊について、もっと根本的に考え直さなければいけない時代が来ていると思う」。
入江の隅に真新しい日本の漁船が見えたが、動かしている形跡は見えない。もともと仕事という概念は、南の島には無かった。「シゴトって何?」とアフリカの奥地で言われて、面食らった日本人がいたらしい。つまり「シゴトをしてお金を稼ぐ」という風習が、もともと無いのである。このことが悪いとも良いとも思わないけれど、日本人が仕事を押しつけては、仕事の道具と使い方、つまり物を送ったところで、シゴトが理解されていないから、シゴトをしないのである。
南の島はシゴトをしなくても生きていけるし、十分文化的な生活も出来る。もともと金銭が無い社会である。

日本人的な仕事の概念で見ない方がよい。
呆れ返ってしまうけれど、向こうもなんで、あんなにシゴトをするのか、呆れかえっているかもしれないのである。お金も仕事も、我々日本人が考えているより、ずーっと今でも重要ではないのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

 

ボートはインリーフを30分はど走ってから、外洋に出て、そこからまた30〜40 分走ったところに、直径10kmほどの丸い環礁がある。
チャンネルから少し行った角で、ジグを落とす。エッジから50mも離れていない所で、水深100m以上ある。
ジグがするすると落ちていくと、1投目でガクッと来て、カツオ君のも東君のジグも全て魚の歯で切られてしまった。
「これね、ロングジグっていうんだけど、これに15cmのワイヤーつけてね」と僕は2人に25cmぐらいある長いジグを渡した。
2投目、今度は3名ともロッドが曲がって、カツオ君は100mのところで、かけて、さらに100m引きずり出されている。東君は50m巻いた所で魚に別の大きな魚が食いついて、ドラッグが鳴りっぱなしになった。
僕は一番小さかったみたいで、ラインも出ずに、すんなりと上がってきた。小型イソマグロである。
東君が途中で、メインラインが切れて、カツオ君は20分のファイトの後、ハリが伸びて外れてしまった。
「イソマグロかなァ? ね、イソマグロでしょう?」とよっぽどイソマグロが好きらしい。
「引きはイソマグロみたいだったけれどね」と僕は軽くフォローしたが、魚は釣り上げて見ないと判らない時がある。引き方で大体は判るけれど、80%ぐらい当たれば上々である。
10分もしないうちに、またカツオ君のロッドが大きく曲がっている。じりじりとラインは出されて、グイグイと彼が巻きだすと、ゆっくり魚が浮きはじめる。するとまた途中から、じりじりとドラッグの強さを上げても、同じように引き出される。
「サメかなア?」と僕は言わないで、黙ったまま、成り行きを見ていた。望月君が旨い麦茶を用意していてくれたので、ぐいぐい飲んで、しばらくリアデッキで座り込んでいる。
太陽はジリジリと朝の光りから真夏の直光に変わって、甲板の上が熱くなってきている。15分がたったところで魚がういた。でかいサメである。浮かせてから僕はプライヤーでサメからフックを外した。

 

午後からGTを狙ってエッジを攻めると、バラフエダイが次々と釣れた。潮は大潮であるが、実は僕の嫌いな満月である。満月は、GTの産卵があるので、どこかに固まって夜遊びをしながら浮遊卵を産む。この辺の北赤道海流が、日本の黒潮の元であるから、日本のメッキの産地の一つは、このあたりであると僕は考えている。僕は小さいGTを釣って、ポートにテントを立ててもらって昼寝を決め込んだ。海風はそんなに暑くはなく、少し汗ばむけれど、直光の熱線を避けているせいか、むしろ涼しい。つまり相対性理論というわけである。
普段何かと忙しい僕は、1〜2時間すっかり寝込んでしまっていたらしい。東君もカツオ君もそんなことを思ってか、僕をそっと寝かしておいてくれた。おぼろに歓声が聞こえ、ああ魚が釣れたんだなとかすかに思うけれど、体が鉛のように重く、睡魔が脳の80%を占領しているのである。南洋の島々では、昔、男は男だけの家を建てて、日中はゴロゴロとしていたという。英語で言えばメンズクラブハウスである。仕事の槻念の無い時代は、母系の家族制度の中で男の役割は、漁と儀式である。
島の名前、ポナペの意味は「石の祭壇の上」ポンペイが語源である。酋長が主催する、神聖な儀式は、シャカオと呼ばれる、胡椒の一種の植物の根から取った精神鎮静作用のある、ノンアルコールドリンクを飲みながら、厳格な作法にのっとって行われていた。つまりしきたり、礼儀作法、母系相続、ナンマルキ、ナニケンといった階級社会をともなった、酋長制度が今でもある。それに16世紀にスペインが持ち込んだキリスト教がミックスされて一般社会の中に定着している。それを仕事と言えば、仕事になるけれど、彼らは仕事と思わなかったに違いない。
うたた寝の間、一時、南洋人になったつもりで、仕事の釣りをさぼっていた僕は結局、その日はあまりいい魚を釣り上げることができなかった。

 

 

 

 

 

夕方帰港して、夜は全員一致でペッパーステーキを食べに行った。何というレストランか忘れたけれど、

夕暮れのロックスエンクが美しく見え、入江が紅に輝いている。
「ポナペのペッパーは、世界の3本の指に入るのですよ」と望月君が教えてくれた。

僕はその後、帰るまで、4日間、毎日夕食はこのペッパーステーキを食べた。

別れ際に、「また来るよ」と望月君に言うと、「ペッパーステーキ食べに来るんですか」と笑われた。
食い物が旨いということは、人間を幸せにすることであると思った。
「今度は新月に来るよ。ジグをいっぱい持ってね」と僕は笑い返して、コンチネンタル956便、通称アイランドホッパーに乗り込んだ。

活躍したタックル

ロッド MONSTER.T  YELLOWTAIL

ルアー S-POP  K-ROGsmart  CRAZY SWIMMER

ライン モーリス10x10

リール シマノ ステラ10000H

取材協力

コンチネンタル航空

フェニックスダイビングクラブボナペ

参考文献

ミクロネシアの花園 矢崎幸生

魚人vol.1

八点鐘

旅の問い合わせ

ワンダーブルー