65回
トカラから南国宮崎へ 後編
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単線の特急列車 「列車の旅もいい」と心の中で思いつつ、久しぶりの日本らしい風景にひたる。木造の旧家、広がる田園、檜や杉の山々、雑木林、竹林、小川のせせらぎ、昔なつかしい風景がそこにある。 人間、普段、何気なく接しているものが、本来は一番大切なもので、それらから遠ざかってみると、その価値観はひとしおに感じる。 |
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南国宮崎 新婚旅行は一説によると、かの坂本竜馬が恋人おりょうを連れて長崎へ旅をしたことから始まったらしい。とにかく、その時代から新婚旅行は南へということらしく、明治に入ってからは、金色夜叉の熱海にはじまり、宮崎、沖縄となって、現在ではオーストラリア、モルジブ、ハワイ、タヒチとどんどん南へ遠のいて行く。 そのうち、21世紀は、南極へ行って、すっかりさめて、成田ナントカてなことになって……(失礼しました)。 当時、東京から長崎行きの急行列車があって、九州周遊券なるものが学割で6000円台で買えた。僕はリュックに絵の具とスケッチブックをたたき込んで、一人で汽車に乗ったのである。 1969年のことで、記憶はそこでプッツリ切れて、その次が高千穂に立っていた。 |
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宮崎から延岡へ しかし2ヵ月後、攻め入る官軍の前に、北へ北へと逃げ延びて行く。今、僕が車の中から見ている宮崎平野を敗走しながら、8月、延岡北部の和田越の戦いに惨敗した。 その後、宮崎は旧島津藩所領であった鹿児島県から独立して宮崎県になってゆく。 この地方の新民謡「イモガラボクト」の一節によれば、 |
延岡の達人 別名「100匹釣り男」と異名をとる彼は、なにしろ釣りまくるらしい。店は午後4時から7時までの3時間しかやらないが、早朝からお客のために山や海のポイントを探してくれている。 |
四国の沖の瀬 漁師の船が近くの島の方に見えたので、近づいてジグを落としたけれど、さっぱりであった。 その日は、表層の小シイラを釣ってあきらめて帰った。 ホットウェーブという若者向けの音楽情報番組に、僕のことを紹介してくれるらしい。渡辺君が気をきかせて、明るくなってから出港した。 |
南国のエノハ(ヤマメ) 和田越えと呼はれる、可愛の麓に広がる平地は、西南の役の最後の激戦地であった。戦いに敗れた維新の英雄、西郷は祝子川に沿って西にのぼり、大崩山の山中の農家に宿をとったという。 つまりこれから、僕が車で登る所を通ったことになる。 顔をみせないように、しずかに登って、ルアーをちょいとね……。」と言って、またニコリと笑った。僕は言われるままに登って、顔を低くして覗き込むと、細長い20mぐらいの小さな滝壺のたまりが見えた。 |
使用タックル ロッド YELLOW TAIL verticaL 4L、OCEAN65、DOLPHIN L&UL、KUIRAUL65 ルアー BIGEYE JIG28g、 WOOD
PECKER50、 魚雷30、50、 LONGPEN30 ライン モーリス アヴァニ20Lb、バリバス4Lb タックルと旅の問い合わせ タイトライン0982-35-8455 |