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サムネイル70回

バリ島周辺の島々B

ロンボック島のGT

 

 

勝利の方程式

バリ島釣行の目的のひとつに、ロンボック島(PULAU LOMBOK)で、釣りをやる事が含まれていた。

初め、バリ島で釣りをした後、ロンボック島に渡ってチャーターボートを、探す予定でいたけれど、「ジュクン」というアウトリガー付きの小舟しか無いと言う答えを、東君からもらった。

そこで、バリ島プノアのヨットハーバーで、改めてペニダ島に行ったボートを、チャーターした訳である。

「3時間近く掛かりますよ。」と、船長は、片言の英語で言う。

つまり、ペニダ島から更に東に1時間半、ロンボック海峡を渡って行かなければならない。

そして、ポイントも解らないまま、ぶっつけ本番となるわけで、不安と期待が膨らむのである。

が、釣師はいつも、前にも書いたが、勝利の方程式で考えるのであるからして、不安より期待のほうが、はるかに大きく、ボートが出発すると、すぐに、高いびきでみんな寝てしまった。

 

 

ウォーレス線とロンボック海峡

バリ島とロンボック島の間には、ウォーレス線という、陸棲の哺乳動物の分布境界線がある。この線は、バリ島とロンボック島の間を通り、ボルネオ島の東を北上して、セルベス海を東に抜けていく、つまりこの線の西側では、有胎盤哺乳類、東側では有袋類となるわけで、太古の大陸スンダーランドとサフルランド、その間に点在したウォーレス多島海と、密接な関係が有る。

100万年前地球は、2〜3万年ごとに氷河期を、繰り返していた更新世である。海は、今より100から200m水深が浅く、つまり、今の南シナ海もバリ島を取り巻くジャワ海も、また身近なところでは、日本海も東シナ海も大陸棚は、みんな陸地だった。

 

写真左:ロンボック島風景

 

海を人類が渡った日

話は、ちょっと外れるけれど、バリ島の西のお隣、ジャワ島辺りに人間の祖先の原人が住んでいた。

人類発祥は東南アフリカだが、そこの原人を除けばこのジャワ原人、正式に言えばネアンデルタール人が最も古い。彼らは、森や平地で狩をしながら移動し、集団で暮らしていた。

そのころ、ジャワとバリ島は、繋がっていたので、バリ島の東岸、つまりスンダーランドの東の端に、彼らはやって来て海を見たに違いない。

そこが、ロンボック海峡である。

彼らの目の前にはロンボック島を含む、小さな島々が連なるウォーレス多島海が広がり、更にその向こうが、サッフルランドである。

ちなみに人類が、この海峡を渡ってサッフルランド、今のニューギニアやオーストラリアに渡ることが出来たのが、5〜7万年前である。

つまり、ネアンデルタール人が、ロンボック海峡を見てから95万年後、今から5〜6万年前のことであった。

ちなみに、その時、カンガルーやコアラなどの有袋類の楽園に、人類が連れていった有胎盤哺乳類は、人間を含めて、犬と、カニクイザルであった。

ロンボック島の断崖

 

 

 

古い、石に刻まれた神様

ロンボック海峡の激潮流

ペニダ島の南を通り、ロンボック海峡にボートが進むと、急に速度が落ちた。

「すごい潮の流れの中に入ったから、スピードが8ノットぐらしかでないよ!」と船長は、GPSの数字を指差した。

このボートの巡航スピードがだいたい25ノットだから、それから計算すると、15〜17ノットの向かい潮である。

もし潮の流れと逆の風が、吹いていたら3m近い潮波が起きるわけで、ロンボック島にへは、ここを通って行けないことになる。

ボートは潮流を横切るかたちで、南に迂回してからロンボック島に向かった。人間がこの海峡を渡った日は、きっと、かなり穏やかな日であったのではあるまいかと、ふと思った。

 

島とポイント

バリ島を出発して3時間、10時半に、ロンボック島の沖にボートは接近した。ぼくは、船長と相談しながら、海図を見て、目的地を決めなければならない。ガイドのワレくんも、ボートでロンボック島に近づくのは、始めてであるし、船長もトローリングで、沖を通るぐらいらしい。

島を見るとき、風裏、潮裏、波裏の穏やかな所に人間は住む。つまり、ロンボック島の場合、西から北にかけて町や港が作られている。そこで、島の南岸の切り立った岸壁を、東に向かてポッパーで攻めることにした。

ジュクンというアウトリガー付きボート

 

 

 

 

カスミアジ

 

大嶋くんのグットサイズのGT

断崖のGT

玄武岩の断崖に近づくと、潮が岩の下に吸い込まれるように、流れが潜り込んでいる所があった。

すかさず、大嶋くんがフロントデッキで投げ始めると、一投目に数匹の巨大な魚が、その吸い込まれていく流れの中から現れて、ロングペンに襲いかかろうとしている。

流れに乗ったルアーは、リヤーデッキにいたぼくの目の前に来た時、その情景が起きた。スローなショートパンプで動いているルアーは、止まって見える。GTは、流れに逆らうようにジグザグに鋭く泳ぎ、ロングペンを追っていく。一番始めに、ポッパーに追いついたGTが、何のためらいもなく、スローモーションで、ドカァン!と、バイトした。

ジーというリールのクリック音は、潮と波の勢いに、消されそうになったけれど、断崖にこだまして、ぼくの耳に、ハッキリ聞こえた。

「なんかでかいです!!」大嶋くんは、叫んだみたいだが、そっちの方は聞き取り難い。船長は、ボートをすぐに後進させようとしたけれど、潮の流れに負けて動かない。

魚は、岸壁の下にどんどんと潜り込んでいく。ボートは、潮と波をまともに受けて、グラグラと揺れた。やっとアクセルを吹かして、ボートが動き始めたとき、さらに揺れは激しくなった。

捕まる所の無いフロントデッキで、転びそうなった大嶋くんは、間一髪、ゴム製救命ボートの入っている箱に捕まって、無事であった。

ボートが、やっと、この危険な流れから抜け出した時、GTは浮いた。グットサイズのGTである。

「いやーまいりましたよ!グラグラ揺れて、捕まるところ無いし…。」と満足顔の大嶋くん。

「まだいるよ、がんばるぞ!」と小向さん。

「ロンボック島良いですね!本気でボート探します……。」東くん。

危険が去って、釣ったGTをリリースした後、ボートスタッフと釣師たちは握手して喜びあったのは、言うまでもない。

さらにもう一度、同じ所にボートを廻して、キャスト繰り返したが、再びGTは現れなかった。

 

ボートの中の睡眠

断崖に沿って東に移動しながら、キャスティングを繰り返す。

岸壁が、低くなるつれてGTの形も小さくなった。そのうち、ごつごつした岩は消え、森の緑が海に覆い被さると、潮の流れが見えなくなった。

GTゲームをやっていた3時間が、アッと言う間に過ぎてしまったけれど、内容の濃い島である。午後2時に、釣りを止めてバリ島に戻った。途中、ボートの側を、イルカが飛んだり跳ねたりしたが、釣師たちは無頓着に寝入ってしまっている。

もし、だれかが小声で「キハダが飛んでいるよ?」ささやけば、飛び起きるわけであるが、釣師たちは、明日の釣りの勝利の方程式のためなのか、夜のビールのためなのかわからないけれど、帰りの船でみんなは、ひたすら、うたた寝をきめこむのだった。

大嶋くんのファイト

 

アロハな気分

ぼくはひとりで、フロントデッキで海風にあたりながら、ボーーとしている。眠るでなし、起きている訳でもない。脳みその中が真っ白で、心が穏やかな空白な状態である。

仏教的に言えば「禅」、ハワイの言葉を借りるなら「アロハ」な気分である。

バリ島の上に白い入道雲が沸き立ち、抜けるような青空と蒼き海を、セグロアジサシがボートと、すれ違うように、南に飛んで行く。

カツオドリは大きな翼を、緩やかな「へ」の字に曲げて、インド洋のうねり、すれすれに漂っていた。

 

雄大なロンボック島

観光ガイドブックによれば、バリ島からのアクセスは簡単らしい。バリからロンボック間は、頻繁に飛んでいる国内線フライトで30分、料金も日本円で¥5,000-位と手頃である。

船で行く場合、プノアの港からフェリーと高速船が有って、それぞれ4時間と2時間半の所要時間である。

50km四方に200万というから、かなりの人が住んでいるように見えるが、日本の富士山に似たリンシャニ火山(3726m)がそびえ、その山麓には豊かな熱帯雨林が広っている。

雄大で美しい自然、のんびりした人々の気質が、第二のバリ島として注目されている。

ぼくは次回、ロンボック島に一週間ぐらい泊まって、ゆくりとジグやGTゲームの釣りを楽しみたいと思った。

 

旅の問い合わせ

ワンダーブルー 03-5791-5686

タックルの問い合わせ

SEAMAN  0792-45-3412

使用したタックル

ロッド YELLOW TAIL70  MONSTER CC61

ルアー LONG PEN100 CRAZY SWIMMER105

リール シマノ ステラ16000 / 10000

ライン モーリス アヴァ60lb