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サムネイル74回

ニ子島釣紀

ヘビージグで狙う南海道瀬戸の小島

 

 

プロローグ
6月、兵庫の城崎で巨大イシナギを、見事に空振った。なにしろ、ベタナギの日本海で320gのロングジグを深海に落とし込んでの釣行など聞いたことがない。

小ブリや小ヒラマサは100gに満たないジグをチョコチョコ動かして、数を釣る。タックルも柔らかいからこれが結構面白い。

そんな中、あえてヘビージグを使ったのは、イシナギの住む沈船が見つかったからであった。その時、釣友の中元さん、松原さんが二子島の話をしてくれた。
「何しろ、8sがアベレージです」と松原さん。
「それを10本近く釣ることだってある。でもねえ、潮が速いので220gのジグがねえ、ファーっと浮いたかと思うと、ぐっと重くなってごつごつって、根掛かりして、ショックリーダーがプツと切られてしまう。小潮ならまだしも大潮になると、沸き立つ流れで海に段ができる…」と中元さんは話を続けた。
夜も更け、酒の量も多くなると、話し手も聞き手も目がらんらんと輝き、僕などは、酒で麻痺した頭の中が、クダコの大ブリの妄想でいっぱいになってしまった。たぶん、そんな時の釣師は、何らかのホルモンが分泌されて集団催眠状態に陥るのではないかと思う。
8月に、海のルアーショップ「シーマン」の山本カツオ君から電話が入り、秋に2回、二子島釣行が決まった。もちろん中元さん松原さんも一緒である。

 

夜の怒和島へ
緩いウェーブの波が光り出した。青白いが少しみどりがかっているうす光は、遠ざかるにつれて闇の中に消えていく。代わりにまた新しい波が柔らかく現れて光り出す。
大洋丸は倉橋島瀬戸の内海をゆっくりと進んで行く。大石船長はアップデッキの上にあぐらをかいて、片足を舵の上にだらりとさせた格好で前方を見つめていた。船は、この季節に多いイカ釣りの小船に気を遣うかのように、湾を出るまで徐行が続いた。僕は石垣島と変わらぬ気温に驚きながら尋ねた。
「11月なのに、暖かいですよね」
「2日前までは、ちょっと涼しかったですけど、鈴木さんがくるといつも晴れて暖かいですね」と釣友の中元さんが持ち上げる。
「11月の時と余り変わらないですね。今日の方が暖かいかもしれないね。半袖で良いのだから南海島ですね」とカツオ君。
二子と書いて「クグコ」と読む。みかんで有名な怒和(ヌワ)島の沖にあるこの小さな無人島がこれほど有名なのはこの瀬で大ブリが釣れるからである。
ここにくるフィッシャーマンは10kgを超える大物を夢見ているに違いなく、遠くは僕のように石垣島や関東から大石さんを訪ねてやって来る。前回10月に来た時のその日に18kgという信じがたいサイズのブリを広島の長久さんが、BG・OCEAN系ショートロッドと300gジグの組み合わせで釣り上げて話題となった。

 

二子の瀬へ
朝6時、怒和島の港を出港した。気温 20℃、なんとも暖かい朝である。
船は潮に押されながらも0.5マイル沖の、二子島に近づいた。
「クグコの左側が段になっているのが見えますか」と中元さんが指差す。
逆U字型に海から飛び出している二子島に潮が当たって、ちょうど船の先にできる波のように段になっているのである。多分深みから浅瀬に潮が流れ込んでいるのだろう。
「落差が1mぐらいありますね」
「エンジン音がなければ、ゴーツという海鳴りが聞こえます」と続けた。大洋丸の400馬カディーゼルエンジンはさらに甲高い音になったけれど、スピードはせいぜい12ノットしか出ていない。つまり20 ノットの就航スピードをもっている大洋丸は、潮の流れ8ノットにかろうじて打ち勝ってのろのろとポイントに近づいているわけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

200gジグが基本
「ロングジグ220gを基本にシャクってください」中元さんはメッキ系のブルーのジグを取り出した。
説明によると小潮では130〜220g、大潮は170〜320gだということらしい。ポートは、水深58mの底から33mの根上に向かって潮の駆け上がりを、ほんの2分ほどで流れきってしまう。その間に、複雑な海底地形と潮にあわせて、ジグを動かすのである。つまり一度底を取って、だいたい底から4mの幅でジグを動かし、スロープに沿って上げていき、頂点でシャクってまた落とす。
船は同じポイントを繰り返し流してくれるからきちっとした山たてがないと、なかなか難しい。それに、軽いジグだと 58mの底が取れない。底まで沈んでいっているのか分からないくらい中層の潮の動きが読みにくいのである。220gのジグを取り出して落とし、底が取れた。ぼくは魚探で見ながら、東側に見える中島で、山たてをし、海底地形を記憶した。大石船長に言わせると、怒和島と二子島の方が解り易いと言う。これはアングラーの立つ位置で決まる。
二子島の瀬は、駆け上がり手前に、約1mの地形の盛り上がりがあって、また2m落ちている。これが結構曲者で、底近くの潮の流れをたるませたり、巻き込んだりする。中層の速い瀬は、駆け上がり上で持ち上がりながら左右に振られる。
上潮は、中層よりも少し遅い。二子の瀬は3枚潮の複雑系といったところだろう。ジグはこの3枚潮で、押し上げられたり、巻き込んだりするので、アングラーにジグのウェイトをまるきり無視したような感じを与えてしまう。自信を持っているアングラーになればなるほど疑心暗鬼に陥って、ついつい根掛かりを恐れて、ラインを引けてしまうか、出しすぎるかで勝負はつく。前者はまったく釣れないし、後者は根掛かりばかりということになる。
「釣るときは8kgサイズが1日に船で30 本以上釣れるのですけど、釣れない人はまったく釣れないです。それは、底を取れるかどうかで決まります」と中元さん。
「大きいやつは、底から3mぐらいまでのところにいる。名人と言われる餌釣り師は7回しかしゃくらない」と船長。
「手でしゃくるから、1回40〜50cmとすると3〜4mということですね」と僕が念を押すと、大石さんはにこりと笑って、コックリと頷いて指を3本出した。
「クダコで捕れたブリの最高が、漁師の上げた24kg、ジグではこの間の18kg、長さはあまりないが太っちょる、丸太みたいに丸まるとして、ずんぐり、むっくりってやつで……」

 

幸せの小さな1尾
8時頃までにアタリが2回。いずれも浅く外れる。8時30分、駆け上がりの頂上より、少し下あたりでまた、かつかつと来た。少し待って、巻きながら、送り込むようにロッドをねかせて鋭くアワセると、ブリ、ヒラマサ用テストロツドはグイと曲がった。
手首と腕で、いなして持ち上げて一気に根の頂点まで引き上げる。そこから引きを楽しみ上げる。3kg強のブリであった。釣れないときの1尾は、たとえ小さくても周りのアングラーまで幸せにしてくれるらしい。何か皆握手してくれて僕も嬉しくなって写真をいっぱい撮ってもらった。
「ポイント読みましたよ」と松原さんが言う。
「みんなで、掛けたポイントを攻めようぜ」と中元さん。

 

 

 

 

 

クダコのブリ現る
 すぐに船を戻してヒットさせたポイントに近づいた。
「来たー!」松原さんのロッドは強いペントで曲がっている。
 彼はすかさず魚を止めにかかった。
「ラインがでていますよ」とカツオ君は僕の方を見た。
「クダコサイズですね」と中元さん。
 ロッドを持ち上げてさらに魚をいなしてから、彼は一気に巻き上げた。きらりと水中で、魚体は反転する。動きが速い。
「見えてから、長いです」と中元さん。
 ラインは、また出され、水面下のやり取りは1分ほど続いた。魚が浮いたところを、中元さんがネットでみごとにすくいあげて攻防は終わった。彼の会心の一撃に、僕は広島のアングラーの心意気を見たような気がした。
「鈴木さんとおなじところで来ましたね」と松原さんは、花を持たしてくれる。
「真ん丸だね、よく引くね、すごい魚だね」と僕が言うと、
「クダコですから…!」と松原さんは笑った。

 

 

なおちゃんと蛸壷
夜は船長の家に泊めてもらった。
「15〜16年前に遊漁船を始めて、子供も育った。今は、息子も船長になって、2艇で頑張っている。最近、若い連中が島にぽつりぽつりと帰ってくるようになったが、島はみかんばかりではきついので、こういうルアー船の遊漁船が島起こしにつながるかもしれないと、思っちょる」と船長はたばこに火を付けた。
「この島で生まれて、おやじがみかん作っていたんだけど、子供のころから船が好きで漁師になろうと思っていた。結婚してすぐに、かみさんに相談したら、ええよと言う。でね、おまえの一番好きな魚を捕る漁師になっちゃると言ったら、タイがええと言うんでタイ釣りの漁師に若い時代に成った」話は続く。ちょうど奥さんがビールを持ってきたので、「今までの漁で、何が一番きついですか」と尋ねる。
「タコ漁はね。長いロープに蛸壷が付いている。蛸壷を海に投げるのが私の役目だから、次から次へと海に放る。そのうち息が切れてしまうけど、まだ何十個て壷があるのね。そしたら、なおちゃんが、投げてから休めばええと言う……」おくさんは笑って答えた。
新鮮な刺身に、名物の鯛めし。このめしの、おこげがとても香ばしくてうまいが、ここの魅力は、何と言っても大石ご夫妻の仲の好さと手料理、そしてあのクダコのブリに違いない。
3kgの魚を釣って喜んだことは正直、ほとんどなかったが、このクダコでそれも渋い1尾は、やがて遭遇するであろう 20kgの大魚につながると思うと、僕にとって、価値ある小物となったのである。

 

南海道とは
司馬遼太郎の「街道をゆく」のなかに南海道についての記載がある。要約すると、「文武天皇(683〜707)の時代に、道(どう)という制度が定められた。全国を7道にわけ、東海道、東北道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道とした。南海道は、紀伊(和歌山)を出発点とし、海を渡り、淡路さらに四国をぐるりと回る。」とある。
怒和島、二子島はこの南海道に入るのではと考えている。この時代の「道」は奈良から見た地方の区分を表していた。ちなみに西海道は今の九州である。が、ぼくの想像につきあってもらえば、この道を街道の意味の道と考えるとなんとロマンチックであろう。道は土や石の道ばかりではなく、海の道つまり海道は、日本国内ばかりか、昔から世界と結ばれていく。南海道は、むしろ四国、滴戸内海にあって、さらに豊後水道を経て西海道から南西諸島、琉球、中国へと延びていく。たとえば、中国の海南島から運ばれた天蚕糸(テグス)は、テグスサンという蛾の幼虫の体液から作られ、中国人は梱包何のひもとして使っていた。それを、南海道、瀬戸内の阿波堂浦の漁師が、江戸時代初期に魚釣りに使った。

南海道という言葉からの勝手な想像であることは言うまでもないが、南海島小紀行とテグス発祥の地である南海道が結びつく気がした。そんな理由で、僕は、南海島を、南海道周辺の島々も含めることにした。

 

活躍したタックル

ロッド B.G OCEAN  YELLOWTAILver

ライン モーリス アヴァニジギング40/50Lb

ルアー CRAZY LONG JIG