76回
モルジブ釣紀行 後編
首都マーレの風景とムラクアトールまで
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マーレのお横さん |
イスラムのお祈りの基本 外山さんが、全種類を1個1個取ってくれて、あれこれと説明してくれたけれど、それを書くと長くなるので、概略を言う。小さなカレーパイのようで、中に魚と野菜が刻んで入っている。具はパサパサしているけれど、カライやつは口から火を吹いてしまうぐらいカライのである。また、ここのミルクティーがうまい。エキスのような煮つめた紅茶に、黄色みがかった濃い哺乳類の何かのミルク、ザラメの砂糖がたっぷり入って、ちょっぴり油が浮いているけれど、なかなか濃厚な味がした。 |
海のシルクロード メッカで生まれたイスラム教は、7世紀から広がり始め、本格的な布教は12世紀に入ってからであるらしい。その時期はアラビアと東南アジア、そして中国に起きた大貿易時代と重なる。つまり、海のシルクロードというべき海道が、アラビア、ペルシャ、インドからモルジプを通ってインド洋を東に向かい東南アジア、中国、海上文化と完全に結ばれた。この道は、セラミックロードとか、スパイスロードと呼ばれるぐらい陶磁器や香料が運ばれ、やがて西洋列強も加わり大経済圏へと発展していくのである。 |
マーレの古井戸 考えてみたら、モルジブの首都マーレは4km四方の小さな島だから、当たり前と言えば当たり前である。もともと、モルジブは古くから貿易船に水を売って栄えた。この水は、雨水ではない純粋たる地下水なのである。海水は、堅い石灰でできているサンゴ岩板の間を通ってくるあいだに真水に近くなるらしいということを確かめたいと思った。 |
鰹船と市場 ぼくは船を持っているから解るけれど、知らない人が乗り込んでくることは、いやなことである。 まして、漁師はなおさらに違いない。しかし、すぐにOKが出た。甲板もハル(船体)もヤシ材で出来ている木造船に、鰹がきれいに並んでいて厚い幌がかけてあった。船長が2〜3匹ずつ丁寧に、市場に運んで、やはりきっちりと並べられた。 |
モルジブのGTフィッシングの変化 |
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GTポイントの本当の保護 始めた頃のヒット率は、書いたことはないがモルジブに近いものがあった。1年ほど経つと3分の1に減り、原因について答えを出せずに、さらに2年が経つと、周りににわか同業者が増え、さらに悪化していった。 90年にはクルーザーを買って遠くのポイントに遠征を泊りがけで始めた。このことも日本では、海のルアー船の中では、ぼくのボートがもっとも早いだろう。 4年目にして、気が付いたことがひとつある。 GTのポイントを守るには、釣りをしないということなのである。この方法でしか、実はポイントの保護はない。 そこで、91 年から、ほとんどの宣伝活動、広告を意図的に止め、さらに、問い合わせには、釣れない話をすると、年間のアングラーが2分の1に減った。94年からは、11月から3月まで5カ月間を禁漁とし、釣りのメディアに出るときは、いかに難しいかを強調しながらGTを釣った。 一度、沖縄のGTの減少について書いたことがあったが、遊漁船業者、釣具店、プロの釣師から、非難と反発をうけたことがあった。 あまりの了見の狭さに驚いた反面、それが現実なのかとがっかりした。 |
真のGTフィッシングの魅力 だから、難しい釣りほど、アングラーにとっては面白いこともある。この面白さに魅せられて石垣島に10年通っている人もいる。たとえば池袋サンスイの山田隆さんだが、彼に言わせれば、 つまり、まぐれで一匹、狙って2匹なのだろう。 |
シャビアニからムラクまで が、北のシャピアニから南のムラクの端まで、400kmの間を10日間かけて釣り歩き、昼は、毎日シュノーケリングでサンゴ礁のエッジを見たけれど、98年に起きた世界的な海水温上昇が引き起こした、サンゴの白化現象がはげしく、それに1年経った今回は、うすいコケのような海藻が死んだサンゴに付着して砂漠化が進んでいた。モルジブ全体をこの釣行で考えることは難しいけれど、このサンゴの死滅がGTの減少原因のひとつになったに違いない。 |
オジイの一言 木の話になって、あれこれと島の木の育て方についてレクチャーを受けていると、確信めいたことを言っていたので、最後に紹介しておこう。 |
活躍したタックル ロッド GIANT86 GTGAMET ルアー CRAZY SWIMMER LONG PEN ライン モーリス アヴァニ60Lb 旅の問い合わせ ワンダーブルー 03-5433-7221 |