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サムネイル77回

西表島川釣行予紀

 

プロローグ
八重山は冬を迎えている。冬といっても、桜が咲いて晴れた日には23℃を超えてしまうぐらい暖かい。

それでも、今年の沖縄は何十年に一度の寒い冬となって昨年の12月など那覇で雪が降ったらしい。
「那覇は、もう北国ですねェ」と、笑い飛ばしてみたものの、インフルエンザは高温と湿気に弱いと高を括っていたぼくは、風邪をこじらせて寝込んでしまい、大阪フィッシングショーの全ての予定をキャンセルしてしまった。15年に一度の風邪らしい風邪である。
なんでこの寒くて雨ばかりの2月に西表島に行くことになったかというと、例のスカイパーフェクTV753チャンネル「釣りビジョン」遠藤君の企みである。
「鈴木さん、もともと石垣に住んだきっかけは西表島の川だったそうですねェ」「……」
「そこで、鈴木さんの″海の大物釣り″というイメージの他に、その何と言ったらいいのでしょうか、ジャングルの中でアウトドア的な魅力を出せたらいいと思いまして……」「……ハアー……」「で、一度、西表島の川に行っていただけませんか?」「……夏ごろにしようか? アゥー……」「早い時期に、都合の良い時で結構ですから、お願いします」「じゃあねェー、4月以降、4月はマルケサスに行くから5〜6月の一番良い季節ということでどぉ?」「それが、4月以降でしたら、日本中どこでも良い状況なので、あえて西表に行かなくてもですねェ、2月なんかいかがでしょう?」「……予定がいっばいだし……」「そこを何とか、空いてる日はいつですか?」「2月はね、1年のうちで一番天気が悪くて、魚が釣れない。川の中なんか、特に冷たい霧雨が降っていて、山から淡水が流れ込んで濁っている。西表のチン(黒ダイ)は、1月に産卵が終わったか終わらないかでゲッソリしていてやる気がない。カーシビ(ゴマフエダイ)は寒さのあまり岩の下で冬眠中だけど?」「そこは、鈴木さんの腕と晴れ男の余力で暖かくしてですねェ。おさえにGTなんかやってもらって、お願いします。3月にもう、放送が決まっているのです。なんとか2月の初めごろで……」「大阪フィッシングショーとサイパン釣行の間が1週間空いてるけれど、ちょっと強行すぎない?。体が持たない」「心配していただいて、ありがとうございます。ぼくたちは若いですから、大丈夫です。何しろ体力が勝負ですから!!」「……オオオオOK……」
本当は撮影スタッフのことを聞いたわけではなく、自分のスケジュールのことだった。

 

 

 

 

 

 

煙雨の西表島へ
2月7日夕方、東部地区大原港に着く。
その日は北風が強く西部地区への定期船は欠航となった。ダークグレーの空から時折、煙雨が降ってきて、体温で蒸発する量とほとんどイーブンになるのだけど、その分体はどんどん冷えてゆく。病み上がりのぼくには少々堪える。
今回お世話になるホテルのオーナーがわざわざ迎えにきてくれた。車が一本道を走りだすと、すぐに広いマングローブの川が見えてきた。仲間川である。その川幅は沖縄県一に違いなく、河口域に広がるオヒルギとメヒルギの森は、新緑が芽吹いている。八重山の冬は、春と交わっている訳で、3月には、もう″海びらき″をする。日本一早い″海びらき″はもっとも観光のアピールが主眼であるからして寒く雨の日が多いと記憶している。

 

イリオモテヤマネコ
「風が強いですねェ」とぼくが言うと、オーナーは黙って頷いた。
しばらくすると道路端にヤマネコ飛び出し注意のカンバンがあった。

「たまにね。道を横断しているんですよ。特に夜は注意しないと」「ぼくはまだ見たことがないけど、けっこう見られるんですか?」「見ようと思って見られるものではないですからね。島に住んでても年に一回見られれば良い方ですよ」
イリオモテヤマネコは、1965年に作家戸川幸夫さんによって発見された。

今泉吉典さんたちが頭骨標本から2年後にようやく結論を出した。
その段階で、島民から″ヤエピカリァー″と呼ばれていたヤマネコは″イリオモテヤマネコ″になった。
発見当初ベンガル系の前に栄えた小型の山猫だと考えられ、新属新種″マヤイルルス、イリオモテンシス″と名付けられた。

ちなみにマヤは沖縄方言で猫、イルルスはギリシャ語で同じく猫、イリオモテンシスはラテン語で″西表の″という意味らしい。

最近、見直しがなされ、台湾や対馬にいるヤマネコと同類のベンガル系ヤマネコの一種とされつつあるが、西表島の大陸島としての地球時間での歴史、頭骨の後頭榜突起の形状など、多くの疑問を残している。個体数は、100頭前後と言われているけれど、いまだにその数は把握されていない。ただ言えることは、年々、その数を減らしている。それは、西表島といえども森林の伐採と農地の拡大と並行しているらしい。さらに、生ゴミ、飼い猫、野良猫の病気感染等、解決しなければならない問題が多い。

 

 

 

 

森と道
車は至る所で道路工事のために止められた。
「東部から西部まで道を広げて、その横に遊歩道を作るそうです」「通る人はいるのですか?」「さアー、国が決めることですからね」
もともと東京23区と同じ面積をもつ西表島は、古くから東部の古見、西部の干立、祖内という集落に分かれていてあまり交流はなかった。そこに環状道ができたのは戦後のことである。
「歩道部には、並木もちゃんと植えるのですよ。また動物のために道の下に獣道的なトンネルを作ってね、道路脇のU字溝は緩いV字溝に変えることによって、小動物が這い上がれるように改造しているのです」「でも、この道にはもともとU字溝は要らなかったのではないでしょうか。特に農地や道路拡張のための森林伐採後の赤土はこのU字溝を通って土に浸透することなく直接川や海に流れています。沖縄県では土地が赤土主体ですので内地(日本本島)と同じやり方の土地改良自体に無理がある」「……」「木のまわりは、雑草と道際の雑草が茂ってつながっていて、とっても人が歩ける状態ではないところがありますねェ」「ですから、年に何回か草刈りしてね、維持するのです」「それって、もちろん税金ですよね」「ええ、でもそうしないと道は、すぐに草ボウボウになってしまうのです」「この島で歩道に並木を植えているのは、何か意味があるのですか?」「なんでも国の規格がそうなっているらしいですよ」「それで、この道は1年間でどのくらいの人が歩くのですかね」「さあ…みんな車を使っていますからね。物好きな観光客が歩くのですかねェ。そうそう、一年に一回マラソンがあります。ヤマネコマラソンというんですがね」
しばらくすると、道は工事の手が入っていない昔ながらの道になった。確かに狭いが、車が徐行しなくても勢いよくすれ違う事の出来る広さをもっている。左右からは、森の木々がせり出して、緑のトンネルを作っている。
「この工事で石垣から毎日、何百人という労務者が来るのです。あと10年は続くから、八重山の経済にもひと役かっているのでしょう」「公共事業が主産業になった地方自治体は、麻薬中毒患者と同じです。つまりそれがないと生きていけなくなってしまっている」
沖縄県は公共事業主体の経済構造になっている。この経済構造自体考え直さないかぎり、県として経済健全化はない。また、自然破壊型の日本の公共事業自体にも大きな問題がありそうだ。森や山にとって道は生態系の寸断につながることはいうまでもない。だからこそ、森や山に作る道は最小限にとどめることが、人間が考えなければならない自然への配慮のような気がする。
車は山の斜面を削っている工事現場の横をすりぬけてゆく。



若者とおやじ
「若い人は、西表に憧れてね。フリーターで働く人が多いですけど、すぐ辞めるのです」
オーナーはぽつりと言った。「都会の人は、西表みたいなところに憧れますからねェー」

「でもねェ、いざ来てみるととっても寂しいからね、続かない。ホームシックといおうか何か理由をつけて、すぐに帰っちゃうのです。仕事に穴があくと、誰かがカバーしなくちゃいけないでしょ。

都会の人は夢とか憧れで来て、寂しくなったり、人間関係でトラブると何のためらいもなく仕事を放り出す。結局、島の人に負担がかかるのです」

「石垣でも同じですよ。そういう人に限って、ちゃんと内地に帰れるように、つてを残してくるのです。ですから、人の迷惑なんか考えない。もっともらしい理由をつけて、その日の内にハイさようならってね。随分いますよね、ただ頑張っている若者も多いことは、忘れてはいけない」

「鈴木さんは、何年いるのですか?」「ぼくは、13年になりましたけど」「帰りたいと思ったことあります?」

「自分は帰れなくして島に来たんです。帰路を断って島に来ると頑張る以外に道はないですからねェ。まして石垣は西表みたいに自然が豊かではない。しまったと思いましたけど時すでに遅しで…。でもねェ、石垣島って釣りには良い所なんです。石西礁湖があって、島の周りはサンゴ礁が世界有数に発達している。八重山の文化の凄さは住んでみて驚かされた。ぼくの住んでいる白保なんかは昔の集落ですから、のんびりしていていい町ですよ」

「最近の若い人は、どうなっているのでしょうね。ドライで小さい考えの人が多いですねェ」

「それは、我々が若い時代に先輩諸氏から同じことを言われてますからね。きっと今の若い人たちも、ぼく達と同じ歳になれば″最近の若いやつらって″と言うんじゃないですか」「ハハハ…」


 

 

上原の美しい海岸は今
車はユツン川、オオミジャー川、ヒナイ川と進み、西部地区に入った。
海がおだやかであれば入港する港、船浦から左に曲がり上原地区に入る。もともと原生林が迫り、美しい砂浜が広がっていた地区は、隣接部の土地改良と海の埋め立てによって、見るも無惨な光景になっている。
むかし、30年住んでいるロビンソン小屋のロビンソンこと藤田さんと逃がすの食べるのと大議論をしながら魚釣りをした浜はもう無く、真新しい港に変わり、海と小川はゴミばかり浮いている。戦後の日本人は、ゴミの文化なのだろうか。この島も例外ではないらしい。

 

マングローブと干潟
月が浜のモクマオウの林を左手に見ながら、浦内川に近づくと左手にくどくどしいオミヤゲ屋が見えてくる。バスが何台も止まっていて、日帰りの観光客らしい一群がパラパラと見えた。すぐに、浦内川の唯一の橋にさしかかる。
「この橋も、もうすぐ工事になるのです。高架橋にするらしいのですけどねェ」
河口部にメヒルギの森と支流が見える。ちょうど夕方が引き潮にあたっているらしく、広大な干潟が現れている。白いコサギが現れ干潟で何かをつついて食べている。
 この川は上流部に一切の人工物をもたないことで知られている。水の色は、紅茶に緑茶を混ぜたようなささにごりをしている。森のミネラルがたっぷりと入っているに違いない。我々の体にもっとも重要なミネラルは鉄である。ところが、無機鉄イオンは水に溶けない。自然の森と川がつくる有機鉄イオンのみが水に溶けて細胞に入り込めるのである。ちなみに赤い血をもった動物はすべてこの有機鉄イオンの酸素循環の恩恵を受けているわけで、魚も人間も含まれる。また緑や青の血をもった動物は、ニッケルや銅イオンの血である。
 海に生命が誕生したのが35億年前で、植物が陸に上がってくるのに30億年かかっている。はじめ海辺でしか生息できなかった植物は、種子を持つようになって乾燥した大地に森林を形成し、地球は緑の惑星になった。この常緑樹の群生、マングローブ林の酸素生産量は普通の常葉樹林の3倍らしい。マングローブの中には、カニ、貝、エビ、ハゼなど多くの水棲動物がいる。それはマングローブの葉や木が折れ、根元の海底でバクテリアやゴカイなどが分解し、植物プランクトンの栄養素になり、それを動物性プランクトンが食べ、カニや小魚に回って行くという循環生態系が出来上がる。西表島はマングローブがあることにより、海から陸へと植物がつながる。つまり、海草、マングローブ、亜熱帯雨林と西表全体が直接海から立ちあがる森の島なのである。
東部の大原を出てぐるりと西部の祖内集落まで60q、時間をかけて車で宿のホテルに入った。

その間、遊歩道を歩いていた人に、会うことはなかった。たぶん煙雨で見えなかったのかもしれない。

 

 

1週間の川釣りロケ
夜7時に、朝から風景撮りをしていた遠藤君らロケ隊と合流して、次の日から浦内川、仲間川、クイラ川と1週間近くかけて撮影に入った。それぞれの川は、西表国立公園の特別保護地区に指定されている河川であり、カヌーとボートを使い釣りをしてみた。

しかし、1984年に初めてこの地を訪れた時のような強烈な感動はなく、エコツーリズムという環境に配慮した観光事業が完成しつつあることを実感しながらも、心の中では少し寂しい思いもあった。当時、この川のルアーフィッシングは、ぼくだけのものであったからで、ぼくの川からぼくらの川になってしまった今、あてがわれたエコツーリズムガイドの聞き役に徹する自分に不甲斐なさを覚えた。
西表島の川の自然は狭い地域に凝縮されたガラスの器と思ってよい。ここに入るアングラー諸氏は、エコ業者にお金を払っているからといって何でも出来るわけではない。むしろ、全国どの川でも同じであるが、自然に対して自分が何を払っているかが問われる時代になっている。川に渡る風は海の若々しい風と違い、″安らぎ″と″いやし″をあたえてくれる母なる風である。
以前西表の川釣りについて取り上げたことがあったので、今回に限り、魚やタックルについて書くのを省かせていただいた。
また、先輩の西山徹さんと浦内川上流のマリュードの滝壺で釣りをしたときや、ぼくのガイド現役時代、Pターポン探検隊など秘蔵の写真を含めて掲載したいと思います。
「エー、釣り、見てみたい!」「それじゃ、見てください」3月中旬以降テレビの放映予定らしい。

我慢して読んでいただき、ありがとうございました。釣りについて期待していただいた読者諸氏には、お詫び申し上げます。
ご意見、ご感想がありましたら、FAXかEメールで、お聞かせください。また、学術見地から、小生の早計と偏見がありましたら、お許しあれ。

○参考文献
 今泉吉典著『イリオモテヤマネコ南海の秘境に生きる』平凡社
 松永勝彦著『森が消えれば海も死ぬ 陸と海を結ぶ生態系』講談社ブルーバックス