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サムネイル48回

与那国島の大魚

プロペラ機のフワッとした着陸で、一回バウンドした、YS11機は与那国島の滑走路に滑り込んだ。

「スピニングでカジキ釣れますかね?」と、同行の石垣長宏さんが言う。

「前にね、一度だけ掛けたんだけど大きすぎて、船のゴーとカジキの飛んで行く方向が90度になってね、あえなくラインブレークてなことがね・・・」と、ぼくは昨年の秋にい起きた与那国での悔しさを話すと、

「大きすぎたってどのくらい?」

「船長の金城勉さんに言わせると、250kgぐらいではないかってね。なにしろ、6kgのライブベイトのキハダを口にくわえて、目の前で海面に体を乗り出してイヤイヤされたんだから、そのままドカンドカンと飛び跳ねて・・・」とまあ、逃げられた魚は大きいのでわけである。

「ぼくなんか、興奮して思わずスゲーって口が閉じなくなりましたよ」と当時、同船していた橘君がはやしたてる。

 

 

今回はこの島で行われるカジキ釣り大会にFISHERMAN BGクラブのメンバー3チーム、総勢6名での参加である。このクラブは、海の大物を狙いながら、国内・国外を問わずに釣りまくろうという企みで、今年から新しく作られ、海のルアーフィッシング中心に活動している。

常宿の民宿「はいどなん」に荷物を置いた後、みんなで港をプラプラしていると、小浜島の吉沢さんのボートが見えたので声をかけると、明日の大会まで暇だから直ぐに釣りに行こうということになった。

午後2時、久部良の港からすぐに出た所に根がある。黒潮が南から北に貫いているので、ものすごくと言っていいほど潮が速く走っていた。魚探とにらめっこしていると、120mぐりの所にポツポツ大物の“へ”の字の反応が現れてきたので、ボートを風上に回して、そのままニュートラルで流してもらった。

 

 

一番初めにアタリがきたのは、棚村君のBGJACKである。ルアーは16ozのクリップルドヘリングである。80mの中層からボートまで一気に走って止まって、だんだん持久戦の構えをみせてきたのである。

ジリジリとラインは出され、ジリジリとまたラインを巻き取る。15分後、30kgオーバーのGTが浮いた。

直ちに、ぼくがハンドランディングしてリリース。直ぐにボートで、また同じ根に回して2流し目、今度は橘君と石垣さんのモンスターがグッと曲がって、イソマグロの20kg。

今度はぼくだぞ、と思っていたらイソマグロがヒット。

3流し目、もう一度ぼくのモンスターに落とし込み中にバイト。ズシッとした重そうな感じがしたのだが、少し巻き取れるので、周りの人にはそのまま釣りをしててと言った直後から様相が変わってきた。ポンピングで魚が浮かなくなってきたのである。さらにらいんは少しずつ出される。大魚である。頭の片隅にジグで掛けたくなかったという思いが現れるが、振り払ってファイトに専念しようとする。

ジリジリと魚を浮かせにかかってみたものの、10分経ったところで、ラインはまだ80mぐらい出されている。相手も自分のおかれている状態が生死に関わることだと気づいているだろうし、無駄に動くことが体力の消耗に繋がるとして、かなり頭を下にした状態で耐えているのだろう。ぼくはあえて勝負をかけず時間をかけて大魚が根気を失うのを待つ戦法に出ている以上、むやみに激しい勝負はするまいと思っている。ボートは流されて、既に200m以上の根のない安全圏にきているだろうから、あえて自分から冒険を冒す必要はないのである。

 

 

20分が経った時、先に動き出したのは大魚であった。大魚は風と潮が同調して、ボートがかなり速いスピードで風下に動いているにも係わらず、なんと潮上に泳ぎ出したのである。

結果、ぼくはリアーデッキのステップの上に追い詰められることになったが、一気に膝を鋭角に曲げて腰を低く落とす鈴気流のポンピングでリフティングを試みると、大魚の頭はグイッと持ちあがったのがわかった。

10mぐらいはスルスルと上がってきたので、このまま終わりかと思った時、ガツガツとアタリにも似た衝撃がロッドを伝わってきた。そして、フワリとフックが魚から外れるのがわかった。20分の出来事である。

上がってきたジグの5/0のトリプルフックは、異様な曲がり方をしている。多分、魚は下アゴに刺さっているフックを肉ごと噛み潰して、歯を骨で砕いてフックを吐出したに違いない。

そして、その大魚は自分の経験と引きの質からいって、巨大なGTなのである。

折れないフック、曲がらないフック、伸びないフックはないけれど、この大魚の凄さと生への執着を思い知らされつつも、なにかホッとした気持ちになってしまったのである。

釣り師と魚が、コミュニケーションをとれるとするならば、こんなことかもしれない。

つまり、本来異種との原始的なコミュニケーションは食物連鎖の中にあるわけで、食うか食われるかという切羽詰った状況が作り出す。生と死の一瞬の沈黙の中に存在する。だとすれば、釣り師と魚とのコミュニケ−ションは、決してロマンティックなものではない。大魚がバレて、妙に落ち着いた気分でいられるのは、この魚のとった見事なまでの冷たい無機質な自己抑制と闘争心を感じたからである。

 

ぼくはその夜、金城さんのところに遊びに行った。

「昨日ねェ、100kgのイソマグロがね、エサで釣れたよ。

今ね魚が寄っているから、明日は鈴木さんはカジキを狙わないで、いつものようにジグで頑張ったほうがいいよ」と、アドバイスしてくれる。

100kgのイソマグロってね、2mもあって、ぼくも長いことウミンチュ(猟師)やってるうけど、初めて見たさ」と船長は言って、泡盛をガブリと飲んだ。ぼくは、昼の大魚の話をせずに、しばらく黙りこくってから、やっぱりカジキを狙うと言って、家を出た。

狭い坂道をトボトボと海の方におりて行くと、町の広場では相変わらず祭囃子が続いている。街頭の無表情な蛍光灯の向こうに裸電球のお祭りの賑わいがある。

その上を定期的に、久部良の灯台の鋭い光がくるくると回っていた。