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サムネイル84回

屋久島釣行記

巨大杉の島から

 

 

 

GTと黒潮と雨と屋久島
GTの北限と黒潮について、以前から考えていた。

南西諸島のほぼ全海域で浮遊卵から生まれたGTの稚魚は、黒潮に乗って東京湾辺りにも回って行き、火力発電所の温排水などで年を越し、昨今は10s近い奴もいるらしい。

が、ほとんどは生息できる海水温でないために死滅する。これを死滅回遊と言う。自然界的にみると、ぼくは屋久島付近が、GTの生息の北限であるような気がしている。

トカラ列島の最北に属するこの島の南側で黒潮が東に大きく蛇行する。おかげでGTが生息できる海水温をぎりぎり年中保てるし、餌となる回遊魚も大きくて多い。

こうなると当然GTの個体も大きくなり生息数は少ないに違いない。もともと屋久島は、鹿児島と繋がっていたようで、西日本全体と地質的には同じである。が、一度海底に沈み、1400万年前に熊毛層と呼ばれる海底堆積層の割れ目からマグマが上昇し、花崗岩山岳で出来た屋久島が誕生した。冬には雪を頂く連峰があり、最高峰宮之浦岳は標高1935mで九州一である。

日本でも有数の豪雨は深いX字谷と大岸璧の山々を作り出した。

「月に35日雨が降る」と作家、林芙美子が小説『浮雲』のなかで書いてある通りであるが、この雨は豊かな植物の楽園を作っている。

高山部のシャクナゲやササなどの高地風衝林帯、山腹は屋久杉が群生した針広混交林帯、700m以下は照葉掛の森が広がり、海岸近くに亜熱帯常緑雨林が取り巻いている。これだけ狭い地域に北から南までの自然が凝縮されている珍しい尊重な島である。

 

一本気な釣り人
台風9号の影響が残っているせいか上空から見る屋久島の海は、猛々しい。
僕の好きなプロペラのYS11機は、鹿児島空港を飛び立つと、わずか40分後にはこの島の上空に着いた。石垣島から南西諸島をアイランドホッピングしながら北上し鹿児島で折り返した。
「大物は屋久島が熱いですよ」

と広島県福山市にオープンしたばかりの海のルアーショップ”コテカワークス”の中元さんにささやかれたのが、きっかけとなった。

”コテカ”とは彼が左官屋のおやじ(失礼、社長)であるところからきているらしいけれど、本人は頑として”そうだ”とは言わない。広島県人の気質として”一本気”である。
つまり、これと思うとこれなわけで、損得でその”一本気”は変えることがない。それには男女の区別がないような気がする。「町によって違いますよ」と、県内こ住む弟分の松本君やルアーショップ・CATS の店長カンジヤさんあたりから、電話があるかもしれないけれど、ここ数年、広島県人釣り師とつき合ってみての、一つのぼくの印象である。

 

 

 

 

台風の後のベタナギ
さて釣りである。西浦に石川さんという釣具屋さんがあって、遊漁船を紹介してもらい港を出ると、まだ前日までの波が残っているみたいで、ほとんど港の外に出たところで過ごした。そんなことで1日日は釣りと言える釣りにはならなかった。
2日目、海は台風の後のベタナギである。空港に勤める石川釣具の息子さんにガイド役で付いて来てもらい、宮浦港を6時半に出港した。おだやかな海を北西のはずれ永田岬に向かう。このあたりから屋久島を見ると、人工物がほとんど見えず、灯台とやや山腹に近い所に一周道路が1本走っている。道はたぶんオーバーハングの木々に覆われているのだろう、海から見ると森の一部が少しへこんだようにしか見えない。
 はじめ50mラインの餌釣りポイントで、船長にまかせてジグをシャクっていたけれど、らちが明かない。シビレを切らした中元さんが瀬の延長線にある落ち込みにポイントを下げてくれるように船長に提案した。馬の背状の、なだらかに落ち込んでいる瀬をジグザグに魚採で探っていく。岩川さんが90mのところに反応を見つけて、すかさず回り込んでくれた。するとぼくのロッドにすぐにアタリが来たので大切に釣り上げた。9kg前後の中型のカンパチである。
「サシミがうまいよ。イケスに入れとこう」という船長の声がファイト中に聞こえていたので中元さんが釣り上げるとすぐに「逃がしますよ!」と、まわりに聞こえるように大きな声で、ぼくの代わりに、言ってくれた。魚はもちろん、何枚か写真を撮ってから海に帰っていったのだけれど、「どうしたの?」とぼくが聞くと、「ええ魚は逃してやる」と中元さん。コテカの親分の”一本気” が、少し前と変わった方向に向いてくれたのだと思うと嬉しくなった。

 

イソマグロの曽根
午後に入るとカガリ曽根という、これまた一級のポイントへ行った。

屋久島沖北東 10マイルのところにある。ここは頭が30mで、屋久島側が屏風状に切り立っている。潮がうかい具合にその壁にぶつかって盛り上がっているのが見えた。

2〜3回流したとき 隣でがんばってジグをしゃくっていた松原君のロツドが、大きく曲がったかと思うと、ラインは船尾の方に150mくらい飛び出して行った。それでも、松原君はロッドで魚を上手くかわしてから、船尾まで移動した。

この走りからして、すぐにイソマグロのグッドサイズと解った。5分後には、水深100mの所までボートは流されている。あとはゆっくりとしたファイトをしながら、ジリジリと引き寄せるだけである。10分が経ったとき、20mのところで巨体が横を向いたので、その大きさがぼくには解った。たぶん1m50p近い大物である。そこから大魚は反転して、再びラインを40mひきずりだして止まった。
「もう水深があるから、ゆっくりと引き上げるといいよ」とぼくが言うと、彼はにこりと笑った。さらに10分が経ったとき水深 10mの所に魚は寄った。最後のフィニッシュという感じで、大魚は誰もが手の届くところまで、浮き始めてきているのである。
 ところが、魚は一度ボートの方にスーと泳いでから大きく頭を振って、勢いよく反転した。そして次の瞬間、勝負はついた。風にそよそよとなびくPEラインの先にはもう大魚の姿はなくなっていた。
「100Lbショックリーダーが切られました」と松原君はガックリと肩を落とした。
「ええファイトじゃった!」と中元さんが慰めた。
 つまり”逃げた魚は大きい”のである。ぼくの経験から言わせてもらえば、誰にあたってよいのかわからず、綻局、自分のところにぶつけるしかない。もっと太いラインを使っていれば良かったとか、あのメーカーにしておけば、ということになるのだけれど、この”逃げた魚”ほど後になって、発酵し、香りを出しながら成長して、ほろ苦い大人のうまい酒になってくれるのであるとぼくは思う。

 

 

 

 

 

 

なつかしのニヨン岩礁
3日目は栗生から高速漁船でニヨン岩礁まで行くことにした。

「1時間で行きますよ」と若い船長は言う。昨日まで9ノットしか出ない漁船だったものだから”ハヤイ、ハヤイ”とみんなで言っているうちに、ぼくが去年の夏に登ってGTと出合った、なつかしいニヨンの岩が見えてきた。中元さんと2人で船首に陣取り、ジグを落とす。

体重が100s近い中元さんが、ニヨンの波で上下するけれど、2人とも安定がよい体型なものだから、波をものともせずにシャクっていた。

その内、ポートの中ほどでやっていた戸田君のリールが甲高い音を立てたけれど、そのまま200mラインが引き出されて終わった。
「イソマグロだね」とぼく。
「いますね−!!」と中元さんが言った直後に、松原君にヒットしたが、ラインは止まることはなかった。
「オールピンクの秘密兵器、持っていかれました」とまた悔しがる。
「きたきたァー!!」と中元さん。「えー小さい!」体に似合わず、1kgのカンパチ。
「ぼくにもきたよ!」8kgのカンパチである。
大物は狙って釣るのだけれど、心・技・体・運・勘・根・金・天・時・潮・場・船・具と13項目もあるのであるからして、なかなか難しい。釣りを長くやればやるほどさらに難しくなる。

 

大魚釣りの秘訣
 民宿に帰って一杯飲んでいると、
「どうすれば大魚は釣れるのですか。なにか鈴木流のやり方があれば、教えてください」と戸田くん。
「じゃ、一回しか教えないよ」とぼくは前置きして、ちょっとしたファイトのテクニックを教えた。
「大魚釣りの秘訣は何ですか」と松原君。
「ぼくはね、かけた魚は全部釣り上げることを心掛けているよ」と言うと、松原君は、少し遠くを見るような目でぼくを見てから、「それって、やっば、むずかしいですよね」と笑った。

 

民宿”潮風”へのお礼
今回、民宿”潮風”にお世話になった。飛び切り美味い料理。花崗岩の山からしみ出した”まろやかな山の水”。高台に吹く涼しい森の風。広い民宿の中は、個室というものがない代わりに自由で気を使わない雰囲気、さりげない気配りが生み出す居心地の良さ。

日高オーナー夫妻の仲の良さを見ていてぼくもこうありたいと思った。豪華なホテルやリゾートも良いけれど、やっぱり日本の民宿も良いと再確認した。

ありがとうございました。民宿”潮風”のすぐ下の磯が、石鯛やGTの一級ポイントとのこと。磯を愛する皆さんにもお薦めしたい。

また、末尾ながら、ここを紹介して頂いた佐野夫妻にも感謝したい。

 

旅の問い合わせ

民宿 “潮風” 日高  TEL09974-7-2146

釣具の岩川 TEL09974-2-0747

栗尾の遊漁“海翔” 上山一利

タックルの問い合わせ

ロッド AMBERJACK LL  MONSTER

ルアー CRAZY LONG JIG 320g / 220g / 170g

ライン モーリス・アヴァニ50・60Lb

 

参考文献

「屋久島の自然」 日下田紀三 八重岳書房

「海の科学」 柳 哲雄 恒星社